SHIHOさん、ついに目的地の5550m地点に到着です!!素晴らしいランドスケープ。空は青く澄み、荘厳、雄大な山々に畏敬の念を抱かずにはいられません。今回は動画もアップされています。美しい景色をご堪能ください!!
9日目:GorakShep ゴラクシップ(5,140m)5:50~KalaPatthar カラ・パタール(5,550m)8:40 30分休憩~ゴラクシップ 11:50 昼食50分~Lobuche(4,910m)14:20
歩行時間:8時間半(休憩込)
いよいよ本日は最終目的地、エベレスト山群が見渡せる「カラ・パタール」へ。
前日の夜、夕食後にクマルさんとミーティング。
私「明日の朝は何時に出発するの?」
クマル「ロブチェまで戻らないといけないから、朝6時かな。」
私「は、早いね…寒そう…;」
クマル「5時半くらいに温かいミルクティーでも飲んで出発しよう」
ということで、朝5時半前くらいに起きる。
真っ暗。
部屋の電気も付かない。
廊下の電気も付かない。
そしてものすごく寒い…。
クマルさんが起きてるかの確認で、私の部屋に来た。
私「…クマルさん、温かいミルクティーは飲めるのかな?」
クマル「エブリシング クローズ…」
ですよね~( ;∀;)
くそ~~~期待もたせやがってー泣。
前日話し合ってる時に、ちらっと「キッチン開いてるのかな?」という疑問はよぎったものの、クマルさんが他のネパール人に何やら聞きながら私に話したため、てっきり開いてるか確認して言ってくれたのだと思っていた。
やっぱり人に任せっきりはダメだな~と思いながらも、寒さと寝起きのイラ立ちも相まってつい「ちゃんと確認しておくべきでしょ!」とクマルさんに怒ってしまった。たかがミルクティー…されどミルクティー;この寒さの中での「温かいもの」は、うどんにネギ、くらいの重要なポジションなのだ。
まぁいくらダダをこねてもスタッフは誰も起きていないため、どうしようもない。
ヘッドライトの明かりの中、クッキーを冷たい水で胃袋に流し込む。
6時前になると外は明るくなった。
太陽は出ているが、まだ日光は届いていない。むしろまだ月が出ている中出発する。
太陽が出ていないとものすごく寒い。
私は足は普通の靴下、手は100均の軍手、という装備しか無かったため、本当に手足の先が凍傷になるのではないかと心配した。
とにかく指先を動かしながら歩いている内に、凍傷になる前に何とか太陽が出てくれた。
「Sun Cammmming!!!(太陽でたよ!)」
二人して喜ぶ。
私が上っている間に、下っているグループもいて、1つのグループは高山病がひどくなり途中でUターン、もう1つのグループはカラ・パタールで朝日を見てきた、とのこと。
朝日見るって…深夜2時とか3時に出るらしい。
変態やな…(・∀・;)
絶対嫌や……。
道無き道をひたすら登る。
もうむちゃくちゃしんどい。
本当に「何でこんなことしてるんだろう…」と何度思ったか。
最後はお決まりのゴツゴツした岩場をよじ登る。
到着!!!!!
私「クマルさん!ここ最終地点!?」
クマル「そうだよ!」
私「Congratulatioooons!!!!」
(つい自分に「おめでとう」と叫ぶ私。)
クマル「Sorry?(え?何て?)」
↑聞き取れなかったというよりも、意味が分かっていない。
ク~マ~ル~~~!!!( ;∀;)
えぇ~…私、9日間かけてようやく辿り着いて感極まってる時に「Congratulations」の意味を説明しないといけないの!?
若干げんなりしていると、そのやり取りを見ていた他のトレッカーが「Congratulations!」と言って拍手をしてくれた。
!!!(´;ω;`)
良かった~!共感してくれる人いた~!
この一言でもの凄く救われた。本当に感謝。
この時は私達以外に、この女性トレッカー一人しかいなかったので、一人で来たのか聞いてみると、友達と上ってたけど、先に着いたから待っているところ、とのこと。友達もてっきり女性だと思っていたが、数十分後来たのはガタイのいい男性で、高山病でかなりキツそうだった。
標高5,550mのカラ・パタールから望むエベレスト山群。
真ん中の黒い山が、世界最高峰・標高8,840mのエベレスト(チョモランマ)!
景色が写真で伝わりにくいので、動画でどうぞ。
後で見ると風の音もすごいな~。
クマルさんと。
私の右にうっすら湖も写ってるのだが(プモリ湖だったかな…)、予想の反して濁っていた。現実なんてそんなものだ笑。
こうして見るとクマルさんより私の方が薄着に見える…;
実際には、カラ・パタールの途中からでも、景色はほとんど同じで、エベレストも見えている。
前日の夜、他のトレッカーに「体力無いから頂上まで行けるか分からない…」とこぼしていると、「途中から景色は同じだから、無理だったら途中で引き返せばいいんだよ」と言われたが、やはり頑張って頂上まで登って良かったと思う。
景色がどうこうというよりも、私は「ここが標高5,550mの世界か!」という達成感の方が先立っていた。
さ、帰ろ…。
12時前。
ゴラクシップの宿に戻って昼食を取る。
この時またしても私は軽い頭痛がしていた。上りじゃなくて下りで良かった…。
そして昼食後は2日前に泊まったロブチェに戻って、そこで1泊する予定だったのだが。
クマル「今日もし良かったらペリチェまで行かないか?」
私「は!?ペリチェまで!?何で?」
クマル「今日そこまで行くとナムチェまで戻るのを1日短縮出来るよ」
私「ペリチェまで何時間くらいかかるの?」
クマル「ロブチェから2時間くらいかな。」
つまり…着くのは4時5時…?
私「却下!」
ただでさえ頭痛でしんどいって言ってるのにこの男は~!(# ゚Д゚)
確かに1日減れば、1日分のポーター代は払わなくていいため、お金の面では助かる。が、いくら帰りは高山病の心配をしなくていいと言えど、そんな疲れることはしたくない。
というか、
働けよ、クマル(# ゚Д゚)
仮にも二児の父(7歳と5歳の子供がいると言ってた)だというのに…。
またしても怒りをおぼえながらゴラクシップの宿を出る。
宿のダイニングルーム。
どこのダイニングルームも、朝と夕方以外は閑散としている。
宿・レストランの扉にはステッカーが沢山。
多いほど人気宿…なのかは知らないが、そんな印象も受ける。
ご飯を食べて出発。
ロブチェの宿に戻り、夕食時。
明日の予定をクマルさんと話す。
残りの予定は
明日:パンボチェ泊
明後日:クムジュン泊
その次:ナムチェ泊
クムジュンという村はナムチェの近く。
よって、明後日のクムジュンでクマルさんと別れる予定。
クマル「明日はプンギまで行かないか?」
私「は?プンギ?どのくらいかかるの?」
クマル「ここから7、8時間くらいかな」
私「プンギに泊まったとして、次の日クムジュンまでは何時間くらいなの?」
クマル「2、3時間くらいかな?」
…明日8時間歩いて、次の日2時間!?
配分おかしいやろ(# ゚Д゚)
私「…何で?」
クマル「早くクムジュンに着いたら、クムジュンを色々見て回れるじゃないか」
確かに私はクムジュンで見たいものがあったが、そのために1泊したいわけであって、早く着くといいというものでも無い。
クマルさんとはクムジュンまでという約束なので、早く着いたとしても払うお金は変わらない。
…というか。
どんだけ早く帰りたいんだクマル!!(# ゚Д゚)
いや、早く子供に会いたいんだろうけど…仕事はちゃんとしてほしい…;
もちろん提案は却下して、明日は当初の予定通りパンボチェに泊まることになった。。。
【本日使ったお金】
チキンヌードルスープ R450
紅茶 R110
レモンティー R100
フライドライス R550
ミルクティー R100
宿泊費 R100
合計:R1410
4回に渡って、SHIHOさんのエベレスト登頂をお伝えしてまいりました!海外旅行上級者SHIHOさんのレポート、見ごたえ読み応えありましたね。クマルさんとのやりとりも楽しみのひとつでした。無事に登頂、下山できてよかったです。たくさんの素晴らしい景色を見せてくださってありがとうございました。SHIHOさん、これからも安全にディープな旅を続けてくださいね。
旅女TabijyoSHIHOさんのエベレスト登頂前編をご覧になりたい方はこちら
投稿Day9.標高5,550mの世界(動画有)@ネパールは三井住友海上海外旅行保険 の最初に登場しました。
ピックアップしてご紹介している旅女SHIHOさんのエベレスト登山の情報。4日目をお届けします。富士山よりも高い場所ということが驚きの美しい村です。イキイキとした写真をご覧ください!
4日目:Namche ナムチェ(3,440m) 8:15~Phungi プンギ(3,250m) 11:00 昼食30分~Tenboche タンボチェ(3,860m) 13:40
歩行時間:5時間45分(休憩込) 富士山の標高は3,776 m。
私は5年前に友達二人と登り、高山病になりつつも何とか登頂できた。が、そのしんどさ上「もう二度と行かない」と言い放ち、言葉通りそれから一度も行っていないのだが、まさかそれ以上の高い所に登ることとなるとは…。
この日は標高3,860mのタンボチェという村が最終目的地。
ちなみに富士山の7合目で2,700m~3,000m(宿によって違う)なのだから、出発地のナムチェで既に7合目より高い場所にいることになる。
朝出て到着時間が昼過ぎ。 「もうちょっと進めばいいのに」と思うかもしれないが、高山病対策のため、1日に登る高さは高度差600mまでが望ましいとされている。病院も大きい村にしか無いので、高山病がひどければ下山するか、チャーター機を依頼するしかない。←個人が救援のためチャーター機を呼ぶのは数百万~1千万円するらしい。
朝、ポーターのクマルさんが宿に迎えに来る。
普通ポーターは私の半分くらいのリュックを自分の荷物として持っているのだが、クマルさんは手に持ったビニール袋以外、何も持っていない。
私 「クマルさん、荷物は?」
クマル 「ん?コレだよ?」
クマルさんの荷物。↓
マジで?(;´Д`)
マジで大丈夫なの?この人???;
今から8日間・・・
最終地点、マイナス20℃近いんですよ???
というか、そのビニール袋持って歩くの!?
そんな私の不安をよそに、クマルさんは平然と言う。
クマル 「僕の荷物、あなたのリュックに入れてくれないかな?」
…いや、どうせアンタが全部担ぐんだからいいけど、、、でっかいシュラフあるし既に結構パンパンなんですけど。というか、ほんとバックパックすら持ってないの!?(;´Д`)
結局全ての荷物を私のバックパックに押し込んで出発。
この時私は思った。
絶対変なの引き当てた。
本日も快晴のナムチェの村を後にする。
しかし、村を出る途中途中で、クマルさんの知り合いが何人も笑顔でクマルさんに声をかけて見送る。
ネパール語は分からないが、「トレッキング」はそのまま「トレッキング」と言うようで、知り合いに声を掛けられる度にクマルさんがそう答えている。
よって、私にはこう話してるとしか思えなかった。
↓
村人 「あれ?クマル?どこ行くんだ?」
クマル 「トレッキングだよ、トレッキング!」
村人 「トレッキング!?一人でか?良かったじゃないか!今までガイド付きでしかやってなかったのに!で、一日いくら貰えるんだ?」
クマル 「1,500ルピーだよ」
村人 「いいなぁ!頑張れよ!」
クマルさんは知らないが、私は「いくら?」と数字くらいのネパール語は分かるので、この会話はあながち外れてはいないと思う。クマルさんは何度もトレッキングは行ったことがあるとは言っていたが、この村人の感じからすると、一人では初めてなんじゃないかと思った。(バックパックも無いし…)
この会話は村を出てからも時々続いた。
あ~何か「魔女の宅急便」のキキが一人前になるため街を出るあの感じと似てる…。
↓既に飽和状態の私と自分の荷物を背負うクマルさん。37歳。
段々畑。冬になる前は何も植えないらしい。
途中、二人でキャッキャ遊んでた子供達。
ネクタイまであるしっかりした制服を着ていた。
途中の村ではアクセサリーなんかをよく売っていた。
ナムチェを過ぎるとまた景色が変わる。
遠くの切り立った山々を見渡せる山沿いを歩いているかと思えば、森のような鬱蒼とした登山道になったり…トレッキングが趣味では無い私でもちょっと楽しいと思ったくらいだから、好きな人にとっては生唾モンだろなぁ~と思う。
11時に「プンギ」という村に到着。
この先タンボチェまで村は無いので、朝御飯をミルクティーとクッキーで済ました私はここで昼食を取る。
ヌードルスープ。
ただのインスタントラーメンがここでは立派な一つの料理。
チョウメン(焼きそば)やフライドライス(炒飯)は量が多いからお腹いっぱいにはなるが、やはり暖かい汁モノが欲しくなる。インスタントラーメンと言えど、野菜も入れてくれるので、塩っ気もあって疲れた体に身に染みる。
ヌードルスープに「RaRa(ララ)ヌードルスープ」とか「WaiWai(ワイワイ?)ヌードルスープ」という風に表記される場合があるが、これはインスタントルードルの種類で、「出前一丁」か「サッポロ一番」とかメーカーの違いを表している。
ちなみにネパール人は料理せずにスナック感覚で、そのままポリポリ食べたりしている。
お腹を満たして出発。
この小屋何だろ~と思って覗くと、中にマニ車があった。
下に流れる川の水圧で、マニ車の下に付けられた水車が回り、自動でマニ車が回るシステム。
ちょっと!
お経読むのにどんだけ楽するん!笑
もはや人の手すらかかっていない。
燃料にするため乾かされているヤク糞。
道具屋で1Gで買い取ってくれますか?
途中、クマルさんがストックの無い私のために木の棒を拾ってくれた。
シホは ひのきのぼう をてにいれた!
ひのきでは無いけど、丁度持つ所がいい具合に曲がっていて使い心地がいい。
どうせなら身につけて歩くとHP回復するアイテム・・・何だっけ?アレが欲しいな~。
何せ、後にも先にもストックが木の棒 という、ナメきった格好は私以外には現地民だけだった。
そして現地民の方がよっぽどいい木の棒を使っている。
↓
木を削って作った、太いちゃんとした杖。腰の高さより低く、手に持つというよりは、上から押さえて使っている。写真のように、人力で重い物資を運ぶ現地の人はよくこの杖を使っていた。
ちなみに、数人で運ぶ場合は、人と人の間に距離が出来る場合が多いので、先頭と最高尾の人が笛を持っていて、休憩する時、終わる時はこの笛を吹いて列を止める。
ヤクも隊列をつくる時は同じような感じだが、ヤク使いがいるのは最後尾で、ヤク使いが笛を吹くと先頭のヤクがぴたっと止まり、後続のヤク達を止める。う~ん、賢い。
ナムチェからプンギまでは標高的に少し下るが、プンギから先は下った分も合わせてタンボチェまでひたすら上り坂!
またしてもめちゃくちゃキツかった…;(というか、この先キツく無いことがほぼ無いことを、この時の私はまだ知らない。)
ので、例によってこの先の写真は無く、タンボチェに到着。
このゲートがタンボチェ到着のしるし!
中は派手なチベット仏教の絵が描かれている。
天井画。
タンボチェの村。
標高3,860m!
ついに富士山より高い所に来た!!!
2時前に着いたけど、既に霧がかっていた。
本日の宿「TASHI DELEK LODGE」
テラスがいい。
一泊300ルピーと高かったが、疲れすぎて判断能力が鈍っていたのだと思う。即決したものの、レストランの値段の高さに少々後悔。
村をぶらぶら歩いていると、サッカーのようなものをしていた少年達がいたのだが、途中で何やら長時間もめだしたので、もめてる写真しか撮れなかった。
タンボチェ僧院。
チベット仏教の総本山とも言われ、多くの僧がここで修行している。
外国人も通常本堂以外は入れる。
マニ車や僧院、仏塔には全て右肩を向けて時計回りに歩くのがマナー。
理由は聞いたけど忘れた。
本堂脇の小さな建物の中で行われるお祈りを見学した。
本堂でのお祈りはカメラ・動画禁止と書かれていたので、ここでも一応写真は控えた。(バシャバシャ撮ってる人もいたけど…)
お堂の中は極彩色の細かい仏教画で彩られ、正に細い絵筆を持って壁に絵を描いている人もいた。
僧はみんなオレンジ寄りの赤色の袈裟を着ていて、見た目は仏教という雰囲気。部屋の中央に何体かの仏像があり、その回りを20人くらいの僧が囲むように座ってお経を唱えていた。
16時から、本堂であるお祈りを見学出来るとのことで、再度訪問。
中はかなり広く、壁一面にはやはり極彩色の仏教画が彩られている。部屋の中央には膝くらいの高さの長椅子…というよりも、木でできた背の低いベッドのようなものが縦に4つくらい並んでいて、その上に座布団を敷いて修行僧がずらっと座っている。 先程の小さいお堂でのお経は仏教っぽいと思ったが、やはりここはチベット仏教。始めこそ、同じようなお経が続くものの、途中からほら貝の笛のような音の笛、ドラ、鈴、様々な楽器が加わっての大合唱になっていった。僧達の低くくぐもった声と、楽器の音が交差し、何とも言えない不思議な空間に吸い込まれる。
観光客はみんな壁沿いの冷たい床に座ってそれを眺めるものだから、今の時期はとにかく寒い。すぐ出る人もいたし、私は30分くらいで退出したが、まだじっと聞いている人も沢山いた。
何というか…それほど引き込まれる世界だった。
もっとチベタンボールとか使って静かな感じなのだと思ってた。
※チベタンボールとはこういうの↓
日本のように「チ~ン」とやるのではなく、器の縁をなぞるようにして音を鳴らす。
チベット仏教のお祈りで使われ、何とも不思議な音色。
使ってたんだと思うけど、他にも色んな楽器が鳴り響いててよく覚えていない。
その後、ガイドブックに載っていた日本人登山家の慰霊碑を訪ねた。
僧院左横のこの道をまっすぐ行く。
1982年、日本人として初めて冬季エベレスト登頂に成功し、帰路に遭難した登山家、加藤保男さんの慰霊碑。
隣りにも他の日本人慰霊碑、シェルパの慰霊碑が並んでいた。
山々を見晴らせる尾根の上にあるが、この日は既に霧が出ていたので、手を合わせて宿に戻る。
泊まった宿は団体客がいて、結構賑わっていたが、この慰霊碑を訪れた人はいないと思う。(なぜなら場所が分からなくて団体客のガイドに聞いたがガイドも知らなかった。もちろんクマルさんも。)
日本人以外に現地のシェルパも亡くなっているのに何だか悲しい。
まぁ所詮見知らぬ人の慰霊碑だけど、せめてここに来た日本人だけでも、どうか手を合わせて欲しいと思う。
そこそこ疲れていたので、この日はガッツリ食べようと決意。
結構ちゃんとしたレストランで、かなり値段も高めだったから(高度が高くなるにつれレストランの値段も上がる)、ここならと思い、初日しくじったダルバートを注文。
そうそう!
コレコレ!!!(∩´∀`)∩
けどまぁ、このダルバート、、、650ルピー もするんだけどね。。。
カトマンズなら日本食2食分!
ナムチェならステーキが食べられるよ?
全然庶民食じゃない!(TдT )
石油止めてるインドを恨む!
ただ、ダルバートは肉以外は何度でもおかわり自由。なので、絶対お腹いっぱいにはなる。
ネパールのパサパサ米が嫌いな私はひたすらイモとダル(豆スープ)をおかわりしまくった。
まぁこの先はダルバートの高さについていけず、スープ系ばっかり頼んでいたけども。
【ナムチェからタンボチェ】
プンギからはひたすら上り坂が続く。
タンボチェ僧院は16時からお祈り開始。
【タンボチェの宿】
「TASHI DELEK LODGE」
宿泊費:R300
人気宿。レストランは高い。僧院の向こうにもロッジが数軒あるので、そちらの方が無難。
【本日使ったお金】
紅茶 R70
ヌードルスープ R280
ダルバート R650
カメラバッテリーフルチャージ R300
宿泊費 R300
合計:R1600
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富士山より高いところにある寺院、カラフルで美しいですね。のんびり大らかな村人たちと、雄大な景色から、時間がゆっくり進んでいるように感じます。ヤクの糞の燃料!まるで素焼きせんべいのようです。そのまま乾かすのではなく、一応まるく成形されているのですね~。今回のレポートも面白かったです!
次回はいよいよ山頂を目指します。どうぞお楽しみに~。
投稿Day4.ついに富士山より高い場所の村に辿り着く@ネパールは三井住友海上海外旅行保険 の最初に登場しました。
ピックアップしてご紹介している旅女SHIHOさんのエベレスト登山の情報。4日目をお届けします。富士山よりも高い場所ということが驚きの美しい村です。イキイキとした写真をご覧ください!
4日目:Namche ナムチェ(3,440m) 8:15~Phungi プンギ(3,250m) 11:00 昼食30分~Tenboche タンボチェ(3,860m) 13:40
歩行時間:5時間45分(休憩込) 富士山の標高は3,776 m。
私は5年前に友達二人と登り、高山病になりつつも何とか登頂できた。が、そのしんどさ上「もう二度と行かない」と言い放ち、言葉通りそれから一度も行っていないのだが、まさかそれ以上の高い所に登ることとなるとは…。
この日は標高3,860mのタンボチェという村が最終目的地。
ちなみに富士山の7合目で2,700m~3,000m(宿によって違う)なのだから、出発地のナムチェで既に7合目より高い場所にいることになる。
朝出て到着時間が昼過ぎ。 「もうちょっと進めばいいのに」と思うかもしれないが、高山病対策のため、1日に登る高さは高度差600mまでが望ましいとされている。病院も大きい村にしか無いので、高山病がひどければ下山するか、チャーター機を依頼するしかない。←個人が救援のためチャーター機を呼ぶのは数百万~1千万円するらしい。
朝、ポーターのクマルさんが宿に迎えに来る。
普通ポーターは私の半分くらいのリュックを自分の荷物として持っているのだが、クマルさんは手に持ったビニール袋以外、何も持っていない。
私 「クマルさん、荷物は?」
クマル 「ん?コレだよ?」
クマルさんの荷物。↓
マジで?(;´Д`)
マジで大丈夫なの?この人???;
今から8日間・・・
最終地点、マイナス20℃近いんですよ???
というか、そのビニール袋持って歩くの!?
そんな私の不安をよそに、クマルさんは平然と言う。
クマル 「僕の荷物、あなたのリュックに入れてくれないかな?」
…いや、どうせアンタが全部担ぐんだからいいけど、、、でっかいシュラフあるし既に結構パンパンなんですけど。というか、ほんとバックパックすら持ってないの!?(;´Д`)
結局全ての荷物を私のバックパックに押し込んで出発。
この時私は思った。
絶対変なの引き当てた。
本日も快晴のナムチェの村を後にする。
しかし、村を出る途中途中で、クマルさんの知り合いが何人も笑顔でクマルさんに声をかけて見送る。
ネパール語は分からないが、「トレッキング」はそのまま「トレッキング」と言うようで、知り合いに声を掛けられる度にクマルさんがそう答えている。
よって、私にはこう話してるとしか思えなかった。
↓
村人 「あれ?クマル?どこ行くんだ?」
クマル 「トレッキングだよ、トレッキング!」
村人 「トレッキング!?一人でか?良かったじゃないか!今までガイド付きでしかやってなかったのに!で、一日いくら貰えるんだ?」
クマル 「1,500ルピーだよ」
村人 「いいなぁ!頑張れよ!」
クマルさんは知らないが、私は「いくら?」と数字くらいのネパール語は分かるので、この会話はあながち外れてはいないと思う。クマルさんは何度もトレッキングは行ったことがあるとは言っていたが、この村人の感じからすると、一人では初めてなんじゃないかと思った。(バックパックも無いし…)
この会話は村を出てからも時々続いた。
あ~何か「魔女の宅急便」のキキが一人前になるため街を出るあの感じと似てる…。
↓既に飽和状態の私と自分の荷物を背負うクマルさん。37歳。
段々畑。冬になる前は何も植えないらしい。
途中、二人でキャッキャ遊んでた子供達。
ネクタイまであるしっかりした制服を着ていた。
途中の村ではアクセサリーなんかをよく売っていた。
ナムチェを過ぎるとまた景色が変わる。
遠くの切り立った山々を見渡せる山沿いを歩いているかと思えば、森のような鬱蒼とした登山道になったり…トレッキングが趣味では無い私でもちょっと楽しいと思ったくらいだから、好きな人にとっては生唾モンだろなぁ~と思う。
11時に「プンギ」という村に到着。
この先タンボチェまで村は無いので、朝御飯をミルクティーとクッキーで済ました私はここで昼食を取る。
ヌードルスープ。
ただのインスタントラーメンがここでは立派な一つの料理。
チョウメン(焼きそば)やフライドライス(炒飯)は量が多いからお腹いっぱいにはなるが、やはり暖かい汁モノが欲しくなる。インスタントラーメンと言えど、野菜も入れてくれるので、塩っ気もあって疲れた体に身に染みる。
ヌードルスープに「RaRa(ララ)ヌードルスープ」とか「WaiWai(ワイワイ?)ヌードルスープ」という風に表記される場合があるが、これはインスタントルードルの種類で、「出前一丁」か「サッポロ一番」とかメーカーの違いを表している。
ちなみにネパール人は料理せずにスナック感覚で、そのままポリポリ食べたりしている。
お腹を満たして出発。
この小屋何だろ~と思って覗くと、中にマニ車があった。
下に流れる川の水圧で、マニ車の下に付けられた水車が回り、自動でマニ車が回るシステム。
ちょっと!
お経読むのにどんだけ楽するん!笑
もはや人の手すらかかっていない。
燃料にするため乾かされているヤク糞。
道具屋で1Gで買い取ってくれますか?
途中、クマルさんがストックの無い私のために木の棒を拾ってくれた。
シホは ひのきのぼう をてにいれた!
ひのきでは無いけど、丁度持つ所がいい具合に曲がっていて使い心地がいい。
どうせなら身につけて歩くとHP回復するアイテム・・・何だっけ?アレが欲しいな~。
何せ、後にも先にもストックが木の棒 という、ナメきった格好は私以外には現地民だけだった。
そして現地民の方がよっぽどいい木の棒を使っている。
↓
木を削って作った、太いちゃんとした杖。腰の高さより低く、手に持つというよりは、上から押さえて使っている。写真のように、人力で重い物資を運ぶ現地の人はよくこの杖を使っていた。
ちなみに、数人で運ぶ場合は、人と人の間に距離が出来る場合が多いので、先頭と最高尾の人が笛を持っていて、休憩する時、終わる時はこの笛を吹いて列を止める。
ヤクも隊列をつくる時は同じような感じだが、ヤク使いがいるのは最後尾で、ヤク使いが笛を吹くと先頭のヤクがぴたっと止まり、後続のヤク達を止める。う~ん、賢い。
ナムチェからプンギまでは標高的に少し下るが、プンギから先は下った分も合わせてタンボチェまでひたすら上り坂!
またしてもめちゃくちゃキツかった…;(というか、この先キツく無いことがほぼ無いことを、この時の私はまだ知らない。)
ので、例によってこの先の写真は無く、タンボチェに到着。
このゲートがタンボチェ到着のしるし!
中は派手なチベット仏教の絵が描かれている。
天井画。
タンボチェの村。
標高3,860m!
ついに富士山より高い所に来た!!!
2時前に着いたけど、既に霧がかっていた。
本日の宿「TASHI DELEK LODGE」
テラスがいい。
一泊300ルピーと高かったが、疲れすぎて判断能力が鈍っていたのだと思う。即決したものの、レストランの値段の高さに少々後悔。
村をぶらぶら歩いていると、サッカーのようなものをしていた少年達がいたのだが、途中で何やら長時間もめだしたので、もめてる写真しか撮れなかった。
タンボチェ僧院。
チベット仏教の総本山とも言われ、多くの僧がここで修行している。
外国人も通常本堂以外は入れる。
マニ車や僧院、仏塔には全て右肩を向けて時計回りに歩くのがマナー。
理由は聞いたけど忘れた。
本堂脇の小さな建物の中で行われるお祈りを見学した。
本堂でのお祈りはカメラ・動画禁止と書かれていたので、ここでも一応写真は控えた。(バシャバシャ撮ってる人もいたけど…)
お堂の中は極彩色の細かい仏教画で彩られ、正に細い絵筆を持って壁に絵を描いている人もいた。
僧はみんなオレンジ寄りの赤色の袈裟を着ていて、見た目は仏教という雰囲気。部屋の中央に何体かの仏像があり、その回りを20人くらいの僧が囲むように座ってお経を唱えていた。
16時から、本堂であるお祈りを見学出来るとのことで、再度訪問。
中はかなり広く、壁一面にはやはり極彩色の仏教画が彩られている。部屋の中央には膝くらいの高さの長椅子…というよりも、木でできた背の低いベッドのようなものが縦に4つくらい並んでいて、その上に座布団を敷いて修行僧がずらっと座っている。 先程の小さいお堂でのお経は仏教っぽいと思ったが、やはりここはチベット仏教。始めこそ、同じようなお経が続くものの、途中からほら貝の笛のような音の笛、ドラ、鈴、様々な楽器が加わっての大合唱になっていった。僧達の低くくぐもった声と、楽器の音が交差し、何とも言えない不思議な空間に吸い込まれる。
観光客はみんな壁沿いの冷たい床に座ってそれを眺めるものだから、今の時期はとにかく寒い。すぐ出る人もいたし、私は30分くらいで退出したが、まだじっと聞いている人も沢山いた。
何というか…それほど引き込まれる世界だった。
もっとチベタンボールとか使って静かな感じなのだと思ってた。
※チベタンボールとはこういうの↓
日本のように「チ~ン」とやるのではなく、器の縁をなぞるようにして音を鳴らす。
チベット仏教のお祈りで使われ、何とも不思議な音色。
使ってたんだと思うけど、他にも色んな楽器が鳴り響いててよく覚えていない。
その後、ガイドブックに載っていた日本人登山家の慰霊碑を訪ねた。
僧院左横のこの道をまっすぐ行く。
1982年、日本人として初めて冬季エベレスト登頂に成功し、帰路に遭難した登山家、加藤保男さんの慰霊碑。
隣りにも他の日本人慰霊碑、シェルパの慰霊碑が並んでいた。
山々を見晴らせる尾根の上にあるが、この日は既に霧が出ていたので、手を合わせて宿に戻る。
泊まった宿は団体客がいて、結構賑わっていたが、この慰霊碑を訪れた人はいないと思う。(なぜなら場所が分からなくて団体客のガイドに聞いたがガイドも知らなかった。もちろんクマルさんも。)
日本人以外に現地のシェルパも亡くなっているのに何だか悲しい。
まぁ所詮見知らぬ人の慰霊碑だけど、せめてここに来た日本人だけでも、どうか手を合わせて欲しいと思う。
そこそこ疲れていたので、この日はガッツリ食べようと決意。
結構ちゃんとしたレストランで、かなり値段も高めだったから(高度が高くなるにつれレストランの値段も上がる)、ここならと思い、初日しくじったダルバートを注文。
そうそう!
コレコレ!!!(∩´∀`)∩
けどまぁ、このダルバート、、、650ルピー もするんだけどね。。。
カトマンズなら日本食2食分!
ナムチェならステーキが食べられるよ?
全然庶民食じゃない!(TдT )
石油止めてるインドを恨む!
ただ、ダルバートは肉以外は何度でもおかわり自由。なので、絶対お腹いっぱいにはなる。
ネパールのパサパサ米が嫌いな私はひたすらイモとダル(豆スープ)をおかわりしまくった。
まぁこの先はダルバートの高さについていけず、スープ系ばっかり頼んでいたけども。
【ナムチェからタンボチェ】
プンギからはひたすら上り坂が続く。
タンボチェ僧院は16時からお祈り開始。
【タンボチェの宿】
「TASHI DELEK LODGE」
宿泊費:R300
人気宿。レストランは高い。僧院の向こうにもロッジが数軒あるので、そちらの方が無難。
【本日使ったお金】
紅茶 R70
ヌードルスープ R280
ダルバート R650
カメラバッテリーフルチャージ R300
宿泊費 R300
合計:R1600
旅女Tabijyo SHIHOさんのブログはこちら
富士山より高いところにある寺院、カラフルで美しいですね。のんびり大らかな村人たちと、雄大な景色から、時間がゆっくり進んでいるように感じます。ヤクの糞の燃料!まるで素焼きせんべいのようです。そのまま乾かすのではなく、一応まるく成形されているのですね~。今回のレポートも面白かったです!
次回はいよいよ山頂を目指します。どうぞお楽しみに~。
投稿Day4.ついに富士山より高い場所の村に辿り着く@ネパールは三井住友海上海外旅行保険 の最初に登場しました。
ピックアップしてお届けする旅女SHIHOさんのエベレストに登山の情報。まずは登山の始まり1日目、写真たっぷり!トレッキング&観光を楽しんでいる様子をご覧ください!!
1日目:Lukla ルクラ(2,840m)7:30~Chumoa チュモア(2,760m) 12:30
歩行時間5時間(休憩含む)
※(m)内は標高。
朝7時。ルクラの空港に無事到着。
飛行機が無事着陸した瞬間、隣りにいた人が「イエーッ!!!」と拍手。つられて乗客全員拍手。
「やっと念願の場所に来れた」のイエーなのか、「無事着陸出来た」のイエーなのか謎である。前述した通り、ここ「テンジン・ヒラリー空港」は、離着陸が難しいことで有名な世界一危険な空港なのだから。
私は乗った飛行機は「Goma Air」。
どの航空会社の飛行機も定員20人くらいの小さなジェット機だった。
ルクラの空港。
既に寒い。
ルクラの町並み。
朝7時と早いにも関わらず、開いている店もある。
「ナマステ・ロッジ」という宿に帰りの航空券を預け、リコンファームをお願いしておく。
そのまま7時半頃にいよいよ出発。
入り口らしきゲート。
地図に記載された標高通り、ルクラからチュモアは少し下るので、この1日目はそれほどキツくは無かった。
この時点ではまだ一人だったため、若干道が心配だったが、人通り(ヤク通り)もそこそこあるため、分からない場合は人が来るまで待って、道を聞きながら進んだ。
物資やトレッカーの荷物を運ぶヤク。
ヤク使い?が一緒にいて、遅いヤクがいるとムチでビシビシ叩く;
時々ロバや馬も通る。
この先はヤク優先道路。ヤクが通る場合、トレッカーは必ず山側へ避けてヤクが通り過ぎるのを待つこと。(間違っても谷側に避けないこと。非常に危険。)
この辺りは緑も多く、秋の山のトレッキングといった感じ。
川に架かった長い橋を渡るロバ(馬?違いが分からん;)。
落ち葉を運ぶおばあちゃんとのんびりロバ待ちをする。
この山の人々はこのおばあちゃんのように、荷物を全て頭で支えて運ぶ。かなり重そうなものでも、頭にかけた布一つで支えて起用に運ぶので、首の筋肉は相当発達してそうだ。
この長い橋は風や人の重みで前後左右に非常に揺れる。そして川からかなり高い位置にある。高い橋が苦手な私は、最初こそ歩伏前進して進みたいと思ったが、何度となく同じような橋を渡らなければならないので、その内慣れた。
途中の村にあった僧院。
ネパールは約10年前まで世界で唯一ヒンドゥー教を国教としていた国で、ヒンドゥー教徒は国の約8割だと言われている。が、チベットに近いこの土地では、今でもチベット仏教を信仰している人がほとんどである。
手前にある円柱のものは「マニ車」。中に経文を印刷した紙が収められ、一回転させれば、その経を読んだのと同じ徳があるとされ、仏塔や僧院の近くによくある。
携帯出来る小さなマニ車も土産物屋で売っていて、「どんだけ楽するんだ」とちょっと思ってしまう。
途中トイレを借りたレストラン(山小屋?忘れた;)で、おじさんが金色の器の上で落ち葉を燃やしていた。
聞くと、仏教のお祈りのためとのこと。
日本で言う線香と同じようなものだろうか。
少し休ませてもらって先に進む。
仏塔の近くには、こういった経文が掘られた石版が沢山ある。
初め見た時ワンピース好きな私は「ポーネグリフだっ!!!」と色めき立ってしまった。
山中を歩いているとそうでもないが、村に入ると地震の痕跡を感じる。地震があったのが今年の4月。まだ半年くらいしか経っていないため、各村で多くの家が復興作業をしていた。
キャベツや葉野菜を育てている畑を沢山見た。
あっ!猫!
子猫もいる~(*´∀`*)
しばし懐っこい猫と戯れながら先へ進む。
本日の目的地「チュモア」の村に到着。
本日の宿「SONAM LODGE」。
富士山の山小屋を想像していた私。
「普通にいいやん!!(゚д゚)!」
ネパールの山小屋は全て個室のみ。
私がこの先泊まる宿も全て個室で、大体ツインベッドルームだった。
窓からの眺めも悪くない。
ダイニングルーム。
この日この宿の宿泊客は私だけだった。
どうやら次の村の方が宿泊客は多いらしい。
昼ご飯にネパール人の庶民食「ダルバート」を注文。
ひたすらガッカリ_| ̄|○
400ルピー(400円)出してこれ…。
まぁ「ダルバート」というものは「ダル=豆のスープ」と「バート=米飯」なので、間違ってはいないのだけど。普通、庶民食堂ではなくこういう観光客向けの場所の場合は、こういうもの↓を期待するワケであって。。。
私の不満な気配を察してか、「辛いものもいる?」と宿の人が唐辛子で漬けた野菜(大根とキュウリのピクルス的なもの)も付けてくれたんだけど、疲れて辿り着いてのこのご飯は出だしからゲンナリしてしまった。
夜ご飯は無難にヌードルスープ(所謂インスタントラーメン)を注文。
宿代がタダ(代わりにここでご飯を食べること)だったのと、宿の人がシャワー代わりにお湯を沸かしてくれたり親切だったのがせめてもの救い。
明日は美味しいご飯にありつけますように。
宿の前にもおじさんと同じお祈り用の金色の器が掛けてあった。
【ルクラからチュモア】
トイレや水が補給出来る場所は多い。朝ルクラを出れば人通りも多い。上り坂は少ない。チュモアからナムチェまでは上り坂が続くので、チュモアの先のMonjo(モンジョ)又はJorsale(ジョルサレ)で宿泊した方が無難。モンジョとジョルサレの方が宿やレストランも多い。チュモアの宿の隣に分かりにくい小さなチェックポイントがあるので、ここでTIMSを提示。
【チュモアの宿】
「SONAM LODGE」
場所:チェックポイントの隣り
宿泊費:無料(必ず宿のレストランでご飯を食べること。←高い)
ダイニングにストーブが無いので夜は寒い。シャワーは無いが頼めばバケツ一杯のお湯を沸かしてくれた。道側の部屋は日が落ちるまで暖かい。
【本日使ったお金】
ダルバート R400
ヌードルスープ R300
ミルクティー R70
宿泊費:無料
合計:R770
空の青と山の緑鮮やかで、そしてカラフルな建物や雑貨の色。澄んだ空気が伝わってきます。ネパールも祈りの国なのですね!登山は始まったばかり。どうぞ無事に登れますように!
この後も、ピックアップしてSHIHOさんの登山までの様子をおとどけしま~す。
投稿Day1.一人だけどまだまだ余裕。@ネパールは三井住友海上海外旅行保険 の最初に登場しました。
旅女SHIHOさんから、なんと!?エベレストに登山の情報です!!標高5364m、全日程12泊13日!ネパールも気になる、登山の様子も気になる!ネパールの旅、これからどんなことが起きるのでしょう?楽しみです。
ナマステ~!!
こちらは世界最高峰エベレストを目指す登山家がキャンプ地とする
「エベレスト・ベース・キャンプ」。
写真にある通り、標高5,364m。
ええ。
行って来ました。
写真は合成ではありません笑。
誰ですか。
「今年は後厄やから、ネパール辺りで大人しくしとくわ~。」
何て言っていた人は。
ちっとも大人しくしていない!
登山とか興味無い人は、「まぁキャンプ地だし、そんなに大変じゃないんじゃ」と思うかもしれません。私も調べるまではそう思ってました。
結論から言うと、全工程(往復)で
12泊13日
かかった…と言うと、その大変さが分かって頂けるでしょうか。。。
高山病対策として1日に登れる距離が大体決まっているので、普通の人はここからプラマイ2~3泊って感じになると思います。
シャワーは11日間浴びてませんw
本日カトマンズの宿に戻り、11日ぶりのシャワーを浴びてスッキリしたものの、長袖は全てトレッキングで使ったので、Tシャツのみで頑張ってます。昼は大丈夫だけど夜が寒い…(;´Д`)が、まぁ今までいた所に比べると屁でもありません。
11日分の髪の毛がごっそり抜けて、マジで10円ハゲでも出来てるんじゃ…と心配しましたが、今のところ大丈夫そうです。目下の心配はむっちゃクサい靴をどう洗うか、というところ。
何にせよ、無事下界に戻って来れて良かった( ;∀;)
カトマンズに戻って、ソッコー日本食食べに行きました。
多分明日も行きます笑。
そして今日は久々にぬくぬくしたベッドでひたすらマンガデータ読むか、ロンバケ見てると思います。
この先のブログは暫くエベレスト編が続くと思います。
行く前は淡々とした日記になるだろな~と思っていたのですが、途中でかなりクセのあるポーター(荷物持ち)を引き当ててしまい、今回も一筋縄では終わらない日記になるだろうと思います(;´∀`)
良かったのか悪かったのか…。
それではまた乞うご期待…してもガッカリするかもしれませんがまた♪
SHIHOさん、お気をつけて~!今後のレポート楽しみにしています。
投稿少しは大人しくしなさい。@ネパールは三井住友海上海外旅行保険 の最初に登場しました。