Yuhです\(^o^)/
バングラ通りへ行くと…
スプレー祭りになってました( ̄□ ̄;)!!
私達も購入(笑)
5本くらい買いましたよ(笑)
みんなカラースプレーや泡だらけに(笑)
プーケットの年越し、なかなか面白かったです‼
そろそろ年越しなので海辺へ戻りました。
クラブみたいになってます‼
そういえば昔海外にハマりだした頃は、海外に行けばクラブばかり行ってたんですよ。一人で(笑)
今思えばよく一人で海外のクラブなんか行ってたな~なんて感心します(笑)
今は夜暗くなったら疲れはてて、ホテルでゴロゴロしたいです(笑)
カンパーイ(^_^)/□☆□\(^_^)
カウントダウン始まりました‼
HNY\(^o^)/
盛大な花火‼‼
私達もせっかくなんでランタンを飛ばしました。
すぐに行方不明に(笑)
今回の年越しは、海外で年越しをやり始めて、記念すべき10周年でした。
今まで、ニューヨーク、ロンドン、メルボルン、ラスベガス、マカオ、ソウル、インド洋、マチュピチュ、マルタで年越ししてきました。
そして今回のプーケットでの年越し、なかなか面白くていい思い出になりました‼
毎年年末になると今年はどこで年越ししようか?と考えるのが悩みの種で億劫だったので、今年からは何も考えずにのんびりしたいです~(笑)
年越し一発目の食事はイタリアン(笑)
明けましておめでとうございます\(^o^)/
去年は日本にいる時は引きこもりぎみで全てが受け身でしたが、今年は積極的に人とも絡めたらなと思います!
ほなっ!
クリスマスをウユニ塩湖で過ごしたYhuさん、年末年始はなんとタイ・プーケットで年越し! Yhuさんのブログより②③を抜粋して、プーケットのカウントダウンの様子をお届けします。楽しそう~~~♪
Yuhです\(^o^)/
大晦日。
年越しはパトンビーチでするつもりです♪
夕暮れ時でもパトンビーチは人でごった返して賑わってました。
サンセットを観に…
サンセットを見ながらするパラグライダーってどんなんなんやろ?
めっちゃ素敵すぎる♪
パラグライダーしたことないんですよ。
いつかしてみたいんですが、今回の旅でもやろうと思えばいくらでもチャンスはあったけど、なんかめんどくさくてやりませんでした(笑)
まぁ、またチャンスは巡ってくるやろう。
年越しまでまだ時間ももあるし、今日2回目のマッサージ(笑)
足をつけたら真水でびっくりしました‼(笑)
いくら暑くても、やっぱお湯の方がホッコリするやんか(笑)
友達(男)のマッサージ氏は今回は若い子でした。
よかったね~(笑)
胸の谷間は見えましたか?
でも下手くそやったらしい…。
どんまい(笑)
年越し2,3時間前。そろそろビーチへ♪
フライング花火があがります。
蛍みたいなのが空を飛んでて、なんやろ!?と不思議やったんですが、近づいてみたら海辺でみんながランタンを飛ばしてました‼
ハート型のランタンもあります!
うまく写真には撮れなかったけど、すごく素敵な光景でした‼
こんなランタンを沢山飛ばしてる光景は初めて見ました。
プーケット来てよかった!と思った瞬間(*´ω`*)
そしてバングラ通りに行ってみたら、さらにすごいことになってました…(笑)
ほなっ!
2016年最初の「世界の街から」は、世界2周終了後も毎月海外旅行を続けるYhuさんからスタート!最近人気急上昇のボリビア・ウユニ塩湖でクリスマスを過ごしたYhuさん。注目の「死ぬまでに行ってみたい絶景地」を事細かにレポートしてくれています。Yhuさんのかわいいサンタ衣装も見どころ!?です。
まいど\(^o^)/
クリスマスにウユニ塩湖に行ってきました!
ウユニ塩湖ってなんなん?
南米のボリビア西部にある都市ウユニから車で1時間ほど、アンデス山脈に囲まれた広大な塩の大地「ウユニ塩湖」。
標高約3,700mと富士山と同じくらいの高さに位置し、南北約100km×東西約250km、面積約11,000km2に広がっています。
ちなみにその広さは…岐阜県=10,620km2とほぼ同じ!見渡す限り真っ白の神秘的な大地が出来た背景として、はるか昔、アンデス山脈が海底から隆起した際に大量の海水が山上に残ったため、この広大な塩湖が形成されたといわれています。
塩湖全体の高低差がわずか50cm以内という「世界で最も平らな場所」であるウユニ塩湖では、降った雨が流れることなく大地に薄く膜を張ることで、空を湖面に映し出す「天空の鏡」と呼ばれる神秘的な絶景が現れます。
死ぬまでに行きたい世界の絶景として、急激に人気が出始めましたね!
どうやって行くん?
ウユニ塩湖を目指すにはまずボリビアのラパスへ。日本からはアメリカで乗継ぎ、ラパスへ入ります。
ラパス-ウユニ間はアマゾナス航空が毎日就航しており、所要時間は約1時間。
都市ウユニは、ボリビアの首都ラパスから約550kmのところにあり、陸路だとバスで約10~12時間かかりますが、2011年に空港が開設されたことにより飛行機による移動が可能となりました。
前までは陸路でしか行けなかったウユニ。
空港が出来たおかげで、だいぶ行きやすくなりました!
私はペルーに滞在していたので、ペルーのティティカカ湖からウユニに向ったのですが、行きも帰りもめっちゃ大変でした!!!!
行きも帰りもグダグダ!めっちゃ大変やったボリビア出入国・・・
サクっと飛行機で行きたかったんですが、南米人と一緒だったので金銭感覚を考慮し、こんなスケジュールになりました。
・プーノ→ラパス(1等バス)
・ラパス→ウユニ(夜行バス)
こんな感じで楽々ウニユへ向う予定が・・・
旅行会社の人が、この1等バスだとウユニ行きの夜行バスに間に合わないと、急に当日に言い出したんです・・・。
はぁ!?
なんでそんなことが事前にわからんねん!!( ゚д゚)
しかもバス代はもう戻ってこないとか・・・。
どうしてもウユニ行き夜行バスに間に合わないと困るのでこの1等バスは諦めて・・・
タクシー
↓
長距離タクシー
↓
ペルーとボリビアの国境到着!
そしたらペルーの出国手続きで、めっちゃくちゃ待たされました!
理由は停電で機械が動かないから出国手続き出来ない・・・!
夜行バスに間に合わなくなるやん!( ゚д゚)
電気も復活し、無事にボリビアへ歩いて国境越え!
ボリビアの入国審査はすんなり終わりました!
ボリビア入国
↓
ラパス行き乗り合いタクシー
↓
ラパス到着
↓
夜行バス乗り場までタクシー
↓
そしたら慌ててボリビア入国したのでボリビアのお金がくてタクシー代が払えない(笑)
↓
ATMでお金降ろす
↓
夜行バス乗り場到着
↓
ウユニ行きバスは既に出発した後・・・!
↓
ウユニ行きは諦めて、出発しかけてたポトシ行きバスに駆け込み乗車!
↓
ポトシ到着
↓
バス乗り場までタクシー
↓
ウユニ行き乗り合いタクシー
↓
ウユニ到着\(^o^)/
こんな感じで本来ならバス2台で到着してたのに、遠回りしながら車7台も乗り継いでウユニに到着しました(笑)
復路もてんやわんや!日本では有り得ないことが普通に起こるのが南米です。
ウユニ→ラパスへの1等バスを予約してましたが・・・
旅行会社から、そのバス会社は今日は休みだと急に当日言われました。
はぁ?( ゚д゚)
予約もしてるのに、なんで当日までそんなことがわからんねん!!
改めて
ウユニ→ラパス バスのランクを下げて旅行会社が予約。
予約確認しにバス会社に行ったら、予約したはずなのに予約出来てないんです・・・。
はぁ?( ゚д゚)
予約したんちゃうんかい!
結局どこのバス会社も、ラパス行きは売り切れ・・・。
ラパス行きは諦めて、
ウユニ→オルーロ→ラパスと遠回りすることに。
し か も!
ガッタガタのオンボロなスリが発生しそうな危ないバスです。
本来なら安全な1等バスで行く予定が・・・・( ゚д゚)
途中のトイレ休憩もなんとトイレがなくて、女の人もみんな建物の裏でしてました。
すごくアンモニア臭が漂ってて、惨めな気持ちになりました・・・。
ほんまなら1等バスやったのに!(何回言うねん笑)
オルーロ到着
↓
バス乗り場までタクシー
↓
ラパスまで乗り合いタクシー
↓
ラパスの空港到着
↓
ラパスから航路でリマへ←この飛行機に間に合いたかった!
全てが適当で思い通りにいかないのが南米です(笑)
南米への旅は余裕を持って計画的に!
ウユニ村についたら現地でウユニ塩湖ツアーに申し込むのが一般的
ウユニの村から塩湖までは車で40~50分ほど。
日本からのパックツアーではない限り、個人旅行の人はウユニ村の旅行会社でツアーを申し込んで4WD車に乗って行くのが一般的です。
私はプライベートツアーにしましたが、2日目はガソリンがなかったという理由でドライバーが1時間も遅刻してきました!
ウユニ塩湖での1時間は貴重!(怒)
乾ききったウユニ塩湖もめっちゃいい!
今や雨季(11月-4月)にみられる鏡ばりの絶景として有名になったウユニ塩湖ですが、乾季(5月-10月)には鏡ばりとは違った、乾ききった塩の大地が魅せる真っ白な世界があるのです。ここでしか撮れないトリックアート写真もこの時期に楽しめる魅力の一つ!雨季と比べて天候もよいので、確実に白い大地が見れるだけでなく、実は雨季の鏡ばりの絶景をみれるチャンスもあるのだとか・・・・?
ウユニ塩湖といえば鏡張りが有名ですが、乾ききった真っ白な塩の大地を走るのも最高です!
実は外国人には、鏡張りが見れる雨季よりも乾季のこちらの方が人気(笑)
六角形の模様がどこまでも続きます!
塩が刺さって痛いので、靴は履いた方がいいです(笑)
ここでトリック写真を撮るのも人気ですね!
塩の堆積場
塩湖から取り出した塩を一時的に集積しておく場所です。
湖の塩を削り取り、1メートルの高さの小山を作り数日間乾燥させているそうです。
ウユニ塩湖といえばやっぱり鏡張り!
11月後半~3月ごろの雨季になると、表面に数cmから50cmの水が溜まり、太陽の光に反響して鏡のような美しい姿をみせ、その壮大で神秘的な風景は「天空の鏡」と比喩され、旅行者に驚きと感動を与えています。
死ぬまでに行きたい絶景を代表するとも言ってよい、近年美しい鏡張りの景色で話題となっているウユニ塩湖!
日本人には、圧倒的に雨季が人気です。
雨季だからといって必ずしも鏡張りの風景が見られるわけではなく、雨水がほどよく溜まり、強風が吹いていない、雨が降っていない等の諸条件が必要となります。
鏡張りが見られる条件は結構厳しいんです!
ジープの上に乗ってウユニ塩湖を爆走!
ジープの上に乗って爆走するのももはや定番になっていますね(笑)
走っても走っても白の世界!
ほんまにいい思い出になります!
唯一ウユニ塩湖内にある、塩で出来たホテル プラヤ・ブランカ
唯一ウユニ塩湖内にあるホテルで、天気によっては朝日、夕日、星空のすべてを満喫できます。 ホテル前には各国の旗が掲げられ、ウユニ塩湖のツアーでも記念撮影のスポットとして人気の場所です。 施設はウユニ塩湖の保全のために最低限の設備となっています。 塩のホテルの中で、一番宿泊料もお値打ちなので、旅の出会いを楽しみたい学生旅行やバックパッカーの方にもオススメです。
ウユニ塩湖内での宿泊は禁止されているので、唯一塩湖内にあるホテルでのみ、塩湖内での宿泊経験が出来ます!
客室のベットにはリャマの毛皮で出来たふかふかのベットカバーが掛けられ、夜はロウソクが灯されていい雰囲気だけど、夕食は期待できまいそうです(笑)
宿泊者が10人以上の場合に電気が付いて、トイレは共同、シャワーはなしです!
電気もなくてシャワー無しとか、いくら安くても嫌です!(笑)
ホテル前には各国の旗が掲げられ、記念写真スポットになってます!
世界各国の旗が!
日本の国旗も見つけました!
日本の旗は2個ありましたが、残念ながら両方ともボロッボロでした・・・( ゚д゚)
一週間後に訪れた人によると、新しい旗になってたそうです(笑)
ボリビアの旗だけポツンと離れた所にあります( ゚д゚)
破棄された機関車がいっぱい並ぶ列車の墓
ウユニの町から徒歩15分のところに列車の墓場と呼ばれる場所があります。ここは19世紀後半にウユニが資源の輸出で栄えていたことを物語っています。 真っさらな大地に1本のレールがひかれ、ここには廃棄となった蒸気機関車や貨物列車が放置されています。 ウユニ塩湖のツアーでまわることも多いこのスポットもまたウユニの歴史を感じることができる場所の一つとして観光客に楽しまれています。
ツアーで必ずといっていいほど連れて行かれる場所です(笑)
ウユニからチリのアントファガスタへ、塩や鉱物を運んだかつての蒸気機関車や貨物の車両が放置されています。
哀愁漂う風景が人気です!
インカ・ワシの頂上からもウユニ塩湖の絶景が!
インカワシ島はウユニ塩湖の中心にあり、ゴツゴツした岩によって島が構成され、島全体にはサボテンが生えています。 インカワシとはインカ帝国時代の主要民族ケチュア族の言葉で「インカの家」を意味します。 その形は魚のようで別名「Fish Island(魚の島)」と呼ばれています。 島全体も1時間ほどでまわれる大きさですが、島の頂上からはウユニ塩湖全体を眺めることができ、南米ならではの自然の景観を楽しむことができます。ウユニ塩湖のツアーではここで昼食をとることが多いです。
南米各国からの旅行者達とパチリ♪
ウユニ塩湖には32の島がありますが、インカ・ワシは唯一観光客に開放されています!
頂上からは真っ白な塩湖やトゥヌパ火山などが一望できます!
島全体にハシラサボテンが生えていて独特な景色です♪
硫黄のようなにおいが漂う塩の目
ここでは、塩原が割れて塩分濃度の濃い塩水が湧き出てます。
下から湧き出ているのが濃い塩水。
ミネラルが多いので、水が茶色くなっているそうです。
地元の人はこれを薬にするそうで、この塩水を汲みに来てました。
あまり観光客に知られていないウユニ塩湖北岸 トゥヌパ火山
ウユニ塩湖の中でも、”最も美しい風景が広がる地”と称されながらも、いままで訪れる観光客が少なかったトゥヌパ火山。コケサ村のミイラ洞窟やチキニ洞窟、さらには奇岩カテドラルやワイハラのアーチなど、ウユニ塩湖周辺に広がるアルティプラーノの原風景をお楽しみいただけます。
標高5432mのトゥヌパ火山。途中のビューポイントまで上ることができます。
1泊2日のウユニ塩湖ツアーで、トゥヌパ火山登山以外に何かすることはあるか?とガイドさんに聞いたら『無い』とのことで(笑)
登山なんてしたくなかったけど、ガイドさんのそれほどしんどくないとの言葉を信じて登りました(笑)
頂上からは地平線まで広がるウユニ塩湖の絶景が楽しめます!
山腹にある洞窟にはミイラが何体か放置されています!
コンチャニ村の塩で出来たお土産屋さんへ
ウユニ市とウユニ塩湖の間にあるコルチャニ村。人口600人ほどの小さな村。
コルチャニ村の女性は土産物を販売。手作りの塩で出来た小物入れやリャマの置き物などが売られている。
ウユニ塩湖のお土産は、やっぱり塩ですね!(笑)
ここでは塩で出来た置物の製造過程が見れます。
塩を天日干しにして 一つ一つ手作りです。
ウユニ塩湖に来たら絶対に泊まりたい!塩で出来たホテル、タイカ・デ・サル
トゥヌパ火山のすぐ前に位置する環境に優しいかやぶき屋根の家屋を利用したポトシのホテルで、暖房付きの客室、レストラン、朝食を提供しています。Hotel Tayka de Salはウユニ塩山の北端に位置しています。
パーケットフロアとむき出しのレンガ壁の客室は大変明るく、全室専用バスルーム付きです。
ビュッフェ式朝食を毎日用意しており、暖炉のある併設レストランでは郷土料理を楽しめます。
滞在中はペスカドおよびインカワシ島を見渡すテラスでリラックスできます。敷地内にはパティオ2つも併設しています。チャンタニ博物館は車で20分先です。
ウユニ空港から車で3時間です。
他の塩のホテルとは離れたトゥヌパ火山のふもとにあるタイガ・デ・サルに宿泊しました。
レセプションも塩です!
お部屋はこんな感じで、壁やベットも塩で出来ています。
机やソファーも塩です!
レストランも塩で出来ています。
クリスマスの夜は、クリスマス特別ディナーが出てきました♪
ホテル タイカ デ サル (Hotel Tayka de Sal)
Localidad de Tahua, Salar de Uyuni, 0000 Phaspani, ボリビア
次の旅先は決まりましたか?
なんと観光客の増加によりウユニ塩湖が汚染されていて、危機的状況に陥っているそうです。
ウユニ塩湖の絶景がいつか見れなくなる日がくるかもしれません・・・。
死ぬまでにいつか行ってみたいとか言ってる場合じゃないです。
行くなら今やでっ!
ほなっ!
世界中を旅するYhuさんのブログ『世界のなんでやねん!』はこちら
投稿【ウユニでクリスマス】絶景ウユニ塩湖でサンタコス!【ウユニ定番観光スポット】@ボリビアは三井住友海上海外旅行保険 の最初に登場しました。
みなさま、こんにちは。
今日はクリスマスイヴです!世界中の多くの方がこの日を待っていたことでしょう。楽しみにしていた方も、そうでない方にも素敵な夜となりますように。
さて今回の「世界の街から」は、イタリア・サレルノからのレポート、イタリアで一番美しいと名高いクリスマスイルミネーションをお届けします。これはもう光のアートですね!ぜひ聖夜の気分を味わってくださいね。
これほど美しく輝くクリスマスイルミネーションを見たのは初めて!
ローマは年々スポンサー不足で地味になりました
(カトリックのお膝元ローマはクリスマスは厳粛に、華美に
ならない様にとバチカンからのお達しもあります)
そこで、南イタリア・サレルノのクリスマスイルミは凄いと訊いて
ローマから日帰りで写真を撮ってきました。
確かにスゴスギ大感動!
余計な説明は省きます。ごゆっくり写真をご覧ください。
ローマからサレルノは特急利用で片道2時間/日帰り可能です
駅前左の商店街から旧市街地区へと次から次に
素敵なイルミネーションが絵巻の様に続きます。
この迫力を写真で伝えるのは難しい!
詳細は こちら の公式サイトにて
1月24日まで開催中/ 17:00~深夜まで。
ローマナビネットは観光/夜景散策も郊外もご案内します。
お問い合わせは こちら のサイトよりお願いします。
投稿イタリアで一番!美しいクリスマス・イルミネーション@サレルノは三井住友海上海外旅行保険 の最初に登場しました。
今回は、サンタクロースの街としても知られるロバニエミから60km離れた小さな村に在住するKippisさんのブログより、フィンランドのクリスマス料理をご紹介します。彩り鮮やかに、食卓もすばらしいセンスでコーディネート。サンタクロースのふるさとではいったいどんなお料理でクリスマスを祝うのか!?美しい写真とともにお楽しみください!
(記事は2014年のものです)
フィンランドの素朴で美味しいクリスマス料理
今年のクリスマスイブは-25度でした。ピンッと張った空気の中、宿泊用の荷物や一緒にお祝いする食卓に必要な料理を持って義理のお母さん宅でお祝い、25日は村に帰って来て家族のみでお祝いをしました。
メイン料理になる6キロ以上ある豚肉をオーブンに入れたのが23日・19時過ぎ。1キロ=1時間の焼き時間なので焼きあがったのが夜中。6-7時間かけて焼いたら表面の脂を取ってマスタードや卵・砂糖やパン粉を塗って、もう少し焼いて...としていたら、こゆきがパッチリ目を覚ましてしまって、結局寝付いたのが朝の5時。クリスマスイブ当日は眠い1日となりました。でも、朝4時頃、大きなオーロラが寝室から観られたのです。久々に揺ら揺らした大きいのでしたよ。
こちらが今年の豚ハム。ジューシーで美味しい。毎年美味しくなっている気がします。
クリスマスにはアニスやクミン味のするライモルト入りのパンが食卓に並びます。今年はドライフルーツも入れて更に日持ちするように焼いてみました。しっとりするコツとしてバターミルクを入れたりコクが出るようにライモルトも水で煮立てて、ライ麦粉入り。ダークシロップ入りなのも北欧パンらしいです。
パンの上にのせて食べると美味しい、こちら。スモークサーモン・ディルを細かく切って泡立てた生クリームとヨーグルトの様な乳製品を混ぜて胡椒・ガーリックパウダーで味付け。本来はサワークリームが入るけど買い忘れてしまったのでコク出しに少量のマヨネーズを混ぜて味を調えてレモン汁入りのゼラチンで固めました。プルプルする程ではなくナイフを入れると丁度よく崩れるのでゼラチンが入っているのか分からない程です。食べる時にレモンを絞ると更に美味しいんです。これは私の大好物。簡単なのに美味しい!
パンの上にのせて食べると美味しいもの、まだあります。義理のお母さん特製のニシンの酢漬け。レバーパテはブルーチーズも入っていて夏に漬けたピクルスと一緒に食べると相性抜群です。ブルーチーズと言えば、フィンランド産のブルーチーズは比較的食べやすくって色々な料理にも使えて美味しいのです。ブルーチーズ苦手な人でも食べられると思いますよ。
クリスマスのサラダとして赤ビーツのサラダを食べます。細かく切った赤ビーツ・じゃが芋・ピクルス・玉ねぎ・人参・卵の中に泡立てた生クリーム・酢・塩胡椒のドレッシングを混ぜて出来上がり。
24日のランチは前菜に魚料理を食べてメインは、お肉のシチューを頂きました。
今年もデザートは義理お母さんのボストンケーキかなと思ったら中にプラムジャムが入った生地が凄くフワフワしたケーキでした。彼女の作るケーキのクリームは甘くなくって食べやすいのです。
24日の夜も25日も豚ハム!今年は義理のお母さんがカブのキャセロール・にんじんキャセロールを焼いたので&隣村の夫婦からもキャセロールが届いたので私は作りませんでした。野菜のキャセロールは凄く美味しいうえ、豚ハムとも合う料理です。
フィンランドのクリスマスは食後のデザートとして食べるケーキはないのですが、オレンジピール&チョコレート入りのケーキを焼きました。大人用はラム酒をいっぱい効かせて。この後にサウナに入ってリラックス~でした。
フィンランドでは24日にサンタさんが来るのですが4歳の、あんじんは「義理のお母さんの家に24日、行きたくない!だって、サンタさんはラーヌヤルビの家に来て誰も家に居なかったらどうするのー」っと。良かったね、ちゃんと義理のお母さんの家に来てくれて。
フィンランド在住KippisさんのブログKippis! from Finlandはこちらです。
投稿フィンランドの素朴で美味しいクリスマス料理@フィンランドは三井住友海上海外旅行保険 の最初に登場しました。
SHIHOさん、ついに目的地の5550m地点に到着です!!素晴らしいランドスケープ。空は青く澄み、荘厳、雄大な山々に畏敬の念を抱かずにはいられません。今回は動画もアップされています。美しい景色をご堪能ください!!
9日目:GorakShep ゴラクシップ(5,140m)5:50~KalaPatthar カラ・パタール(5,550m)8:40 30分休憩~ゴラクシップ 11:50 昼食50分~Lobuche(4,910m)14:20
歩行時間:8時間半(休憩込)
いよいよ本日は最終目的地、エベレスト山群が見渡せる「カラ・パタール」へ。
前日の夜、夕食後にクマルさんとミーティング。
私「明日の朝は何時に出発するの?」
クマル「ロブチェまで戻らないといけないから、朝6時かな。」
私「は、早いね…寒そう…;」
クマル「5時半くらいに温かいミルクティーでも飲んで出発しよう」
ということで、朝5時半前くらいに起きる。
真っ暗。
部屋の電気も付かない。
廊下の電気も付かない。
そしてものすごく寒い…。
クマルさんが起きてるかの確認で、私の部屋に来た。
私「…クマルさん、温かいミルクティーは飲めるのかな?」
クマル「エブリシング クローズ…」
ですよね~( ;∀;)
くそ~~~期待もたせやがってー泣。
前日話し合ってる時に、ちらっと「キッチン開いてるのかな?」という疑問はよぎったものの、クマルさんが他のネパール人に何やら聞きながら私に話したため、てっきり開いてるか確認して言ってくれたのだと思っていた。
やっぱり人に任せっきりはダメだな~と思いながらも、寒さと寝起きのイラ立ちも相まってつい「ちゃんと確認しておくべきでしょ!」とクマルさんに怒ってしまった。たかがミルクティー…されどミルクティー;この寒さの中での「温かいもの」は、うどんにネギ、くらいの重要なポジションなのだ。
まぁいくらダダをこねてもスタッフは誰も起きていないため、どうしようもない。
ヘッドライトの明かりの中、クッキーを冷たい水で胃袋に流し込む。
6時前になると外は明るくなった。
太陽は出ているが、まだ日光は届いていない。むしろまだ月が出ている中出発する。
太陽が出ていないとものすごく寒い。
私は足は普通の靴下、手は100均の軍手、という装備しか無かったため、本当に手足の先が凍傷になるのではないかと心配した。
とにかく指先を動かしながら歩いている内に、凍傷になる前に何とか太陽が出てくれた。
「Sun Cammmming!!!(太陽でたよ!)」
二人して喜ぶ。
私が上っている間に、下っているグループもいて、1つのグループは高山病がひどくなり途中でUターン、もう1つのグループはカラ・パタールで朝日を見てきた、とのこと。
朝日見るって…深夜2時とか3時に出るらしい。
変態やな…(・∀・;)
絶対嫌や……。
道無き道をひたすら登る。
もうむちゃくちゃしんどい。
本当に「何でこんなことしてるんだろう…」と何度思ったか。
最後はお決まりのゴツゴツした岩場をよじ登る。
到着!!!!!
私「クマルさん!ここ最終地点!?」
クマル「そうだよ!」
私「Congratulatioooons!!!!」
(つい自分に「おめでとう」と叫ぶ私。)
クマル「Sorry?(え?何て?)」
↑聞き取れなかったというよりも、意味が分かっていない。
ク~マ~ル~~~!!!( ;∀;)
えぇ~…私、9日間かけてようやく辿り着いて感極まってる時に「Congratulations」の意味を説明しないといけないの!?
若干げんなりしていると、そのやり取りを見ていた他のトレッカーが「Congratulations!」と言って拍手をしてくれた。
!!!(´;ω;`)
良かった~!共感してくれる人いた~!
この一言でもの凄く救われた。本当に感謝。
この時は私達以外に、この女性トレッカー一人しかいなかったので、一人で来たのか聞いてみると、友達と上ってたけど、先に着いたから待っているところ、とのこと。友達もてっきり女性だと思っていたが、数十分後来たのはガタイのいい男性で、高山病でかなりキツそうだった。
標高5,550mのカラ・パタールから望むエベレスト山群。
真ん中の黒い山が、世界最高峰・標高8,840mのエベレスト(チョモランマ)!
景色が写真で伝わりにくいので、動画でどうぞ。
後で見ると風の音もすごいな~。
クマルさんと。
私の右にうっすら湖も写ってるのだが(プモリ湖だったかな…)、予想の反して濁っていた。現実なんてそんなものだ笑。
こうして見るとクマルさんより私の方が薄着に見える…;
実際には、カラ・パタールの途中からでも、景色はほとんど同じで、エベレストも見えている。
前日の夜、他のトレッカーに「体力無いから頂上まで行けるか分からない…」とこぼしていると、「途中から景色は同じだから、無理だったら途中で引き返せばいいんだよ」と言われたが、やはり頑張って頂上まで登って良かったと思う。
景色がどうこうというよりも、私は「ここが標高5,550mの世界か!」という達成感の方が先立っていた。
さ、帰ろ…。
12時前。
ゴラクシップの宿に戻って昼食を取る。
この時またしても私は軽い頭痛がしていた。上りじゃなくて下りで良かった…。
そして昼食後は2日前に泊まったロブチェに戻って、そこで1泊する予定だったのだが。
クマル「今日もし良かったらペリチェまで行かないか?」
私「は!?ペリチェまで!?何で?」
クマル「今日そこまで行くとナムチェまで戻るのを1日短縮出来るよ」
私「ペリチェまで何時間くらいかかるの?」
クマル「ロブチェから2時間くらいかな。」
つまり…着くのは4時5時…?
私「却下!」
ただでさえ頭痛でしんどいって言ってるのにこの男は~!(# ゚Д゚)
確かに1日減れば、1日分のポーター代は払わなくていいため、お金の面では助かる。が、いくら帰りは高山病の心配をしなくていいと言えど、そんな疲れることはしたくない。
というか、
働けよ、クマル(# ゚Д゚)
仮にも二児の父(7歳と5歳の子供がいると言ってた)だというのに…。
またしても怒りをおぼえながらゴラクシップの宿を出る。
宿のダイニングルーム。
どこのダイニングルームも、朝と夕方以外は閑散としている。
宿・レストランの扉にはステッカーが沢山。
多いほど人気宿…なのかは知らないが、そんな印象も受ける。
ご飯を食べて出発。
ロブチェの宿に戻り、夕食時。
明日の予定をクマルさんと話す。
残りの予定は
明日:パンボチェ泊
明後日:クムジュン泊
その次:ナムチェ泊
クムジュンという村はナムチェの近く。
よって、明後日のクムジュンでクマルさんと別れる予定。
クマル「明日はプンギまで行かないか?」
私「は?プンギ?どのくらいかかるの?」
クマル「ここから7、8時間くらいかな」
私「プンギに泊まったとして、次の日クムジュンまでは何時間くらいなの?」
クマル「2、3時間くらいかな?」
…明日8時間歩いて、次の日2時間!?
配分おかしいやろ(# ゚Д゚)
私「…何で?」
クマル「早くクムジュンに着いたら、クムジュンを色々見て回れるじゃないか」
確かに私はクムジュンで見たいものがあったが、そのために1泊したいわけであって、早く着くといいというものでも無い。
クマルさんとはクムジュンまでという約束なので、早く着いたとしても払うお金は変わらない。
…というか。
どんだけ早く帰りたいんだクマル!!(# ゚Д゚)
いや、早く子供に会いたいんだろうけど…仕事はちゃんとしてほしい…;
もちろん提案は却下して、明日は当初の予定通りパンボチェに泊まることになった。。。
【本日使ったお金】
チキンヌードルスープ R450
紅茶 R110
レモンティー R100
フライドライス R550
ミルクティー R100
宿泊費 R100
合計:R1410
4回に渡って、SHIHOさんのエベレスト登頂をお伝えしてまいりました!海外旅行上級者SHIHOさんのレポート、見ごたえ読み応えありましたね。クマルさんとのやりとりも楽しみのひとつでした。無事に登頂、下山できてよかったです。たくさんの素晴らしい景色を見せてくださってありがとうございました。SHIHOさん、これからも安全にディープな旅を続けてくださいね。
旅女TabijyoSHIHOさんのエベレスト登頂前編をご覧になりたい方はこちら
投稿Day9.標高5,550mの世界(動画有)@ネパールは三井住友海上海外旅行保険 の最初に登場しました。
ピックアップしてご紹介している旅女SHIHOさんのエベレスト登山の情報。4日目をお届けします。富士山よりも高い場所ということが驚きの美しい村です。イキイキとした写真をご覧ください!
4日目:Namche ナムチェ(3,440m) 8:15~Phungi プンギ(3,250m) 11:00 昼食30分~Tenboche タンボチェ(3,860m) 13:40
歩行時間:5時間45分(休憩込) 富士山の標高は3,776 m。
私は5年前に友達二人と登り、高山病になりつつも何とか登頂できた。が、そのしんどさ上「もう二度と行かない」と言い放ち、言葉通りそれから一度も行っていないのだが、まさかそれ以上の高い所に登ることとなるとは…。
この日は標高3,860mのタンボチェという村が最終目的地。
ちなみに富士山の7合目で2,700m~3,000m(宿によって違う)なのだから、出発地のナムチェで既に7合目より高い場所にいることになる。
朝出て到着時間が昼過ぎ。 「もうちょっと進めばいいのに」と思うかもしれないが、高山病対策のため、1日に登る高さは高度差600mまでが望ましいとされている。病院も大きい村にしか無いので、高山病がひどければ下山するか、チャーター機を依頼するしかない。←個人が救援のためチャーター機を呼ぶのは数百万~1千万円するらしい。
朝、ポーターのクマルさんが宿に迎えに来る。
普通ポーターは私の半分くらいのリュックを自分の荷物として持っているのだが、クマルさんは手に持ったビニール袋以外、何も持っていない。
私 「クマルさん、荷物は?」
クマル 「ん?コレだよ?」
クマルさんの荷物。↓
マジで?(;´Д`)
マジで大丈夫なの?この人???;
今から8日間・・・
最終地点、マイナス20℃近いんですよ???
というか、そのビニール袋持って歩くの!?
そんな私の不安をよそに、クマルさんは平然と言う。
クマル 「僕の荷物、あなたのリュックに入れてくれないかな?」
…いや、どうせアンタが全部担ぐんだからいいけど、、、でっかいシュラフあるし既に結構パンパンなんですけど。というか、ほんとバックパックすら持ってないの!?(;´Д`)
結局全ての荷物を私のバックパックに押し込んで出発。
この時私は思った。
絶対変なの引き当てた。
本日も快晴のナムチェの村を後にする。
しかし、村を出る途中途中で、クマルさんの知り合いが何人も笑顔でクマルさんに声をかけて見送る。
ネパール語は分からないが、「トレッキング」はそのまま「トレッキング」と言うようで、知り合いに声を掛けられる度にクマルさんがそう答えている。
よって、私にはこう話してるとしか思えなかった。
↓
村人 「あれ?クマル?どこ行くんだ?」
クマル 「トレッキングだよ、トレッキング!」
村人 「トレッキング!?一人でか?良かったじゃないか!今までガイド付きでしかやってなかったのに!で、一日いくら貰えるんだ?」
クマル 「1,500ルピーだよ」
村人 「いいなぁ!頑張れよ!」
クマルさんは知らないが、私は「いくら?」と数字くらいのネパール語は分かるので、この会話はあながち外れてはいないと思う。クマルさんは何度もトレッキングは行ったことがあるとは言っていたが、この村人の感じからすると、一人では初めてなんじゃないかと思った。(バックパックも無いし…)
この会話は村を出てからも時々続いた。
あ~何か「魔女の宅急便」のキキが一人前になるため街を出るあの感じと似てる…。
↓既に飽和状態の私と自分の荷物を背負うクマルさん。37歳。
段々畑。冬になる前は何も植えないらしい。
途中、二人でキャッキャ遊んでた子供達。
ネクタイまであるしっかりした制服を着ていた。
途中の村ではアクセサリーなんかをよく売っていた。
ナムチェを過ぎるとまた景色が変わる。
遠くの切り立った山々を見渡せる山沿いを歩いているかと思えば、森のような鬱蒼とした登山道になったり…トレッキングが趣味では無い私でもちょっと楽しいと思ったくらいだから、好きな人にとっては生唾モンだろなぁ~と思う。
11時に「プンギ」という村に到着。
この先タンボチェまで村は無いので、朝御飯をミルクティーとクッキーで済ました私はここで昼食を取る。
ヌードルスープ。
ただのインスタントラーメンがここでは立派な一つの料理。
チョウメン(焼きそば)やフライドライス(炒飯)は量が多いからお腹いっぱいにはなるが、やはり暖かい汁モノが欲しくなる。インスタントラーメンと言えど、野菜も入れてくれるので、塩っ気もあって疲れた体に身に染みる。
ヌードルスープに「RaRa(ララ)ヌードルスープ」とか「WaiWai(ワイワイ?)ヌードルスープ」という風に表記される場合があるが、これはインスタントルードルの種類で、「出前一丁」か「サッポロ一番」とかメーカーの違いを表している。
ちなみにネパール人は料理せずにスナック感覚で、そのままポリポリ食べたりしている。
お腹を満たして出発。
この小屋何だろ~と思って覗くと、中にマニ車があった。
下に流れる川の水圧で、マニ車の下に付けられた水車が回り、自動でマニ車が回るシステム。
ちょっと!
お経読むのにどんだけ楽するん!笑
もはや人の手すらかかっていない。
燃料にするため乾かされているヤク糞。
道具屋で1Gで買い取ってくれますか?
途中、クマルさんがストックの無い私のために木の棒を拾ってくれた。
シホは ひのきのぼう をてにいれた!
ひのきでは無いけど、丁度持つ所がいい具合に曲がっていて使い心地がいい。
どうせなら身につけて歩くとHP回復するアイテム・・・何だっけ?アレが欲しいな~。
何せ、後にも先にもストックが木の棒 という、ナメきった格好は私以外には現地民だけだった。
そして現地民の方がよっぽどいい木の棒を使っている。
↓
木を削って作った、太いちゃんとした杖。腰の高さより低く、手に持つというよりは、上から押さえて使っている。写真のように、人力で重い物資を運ぶ現地の人はよくこの杖を使っていた。
ちなみに、数人で運ぶ場合は、人と人の間に距離が出来る場合が多いので、先頭と最高尾の人が笛を持っていて、休憩する時、終わる時はこの笛を吹いて列を止める。
ヤクも隊列をつくる時は同じような感じだが、ヤク使いがいるのは最後尾で、ヤク使いが笛を吹くと先頭のヤクがぴたっと止まり、後続のヤク達を止める。う~ん、賢い。
ナムチェからプンギまでは標高的に少し下るが、プンギから先は下った分も合わせてタンボチェまでひたすら上り坂!
またしてもめちゃくちゃキツかった…;(というか、この先キツく無いことがほぼ無いことを、この時の私はまだ知らない。)
ので、例によってこの先の写真は無く、タンボチェに到着。
このゲートがタンボチェ到着のしるし!
中は派手なチベット仏教の絵が描かれている。
天井画。
タンボチェの村。
標高3,860m!
ついに富士山より高い所に来た!!!
2時前に着いたけど、既に霧がかっていた。
本日の宿「TASHI DELEK LODGE」
テラスがいい。
一泊300ルピーと高かったが、疲れすぎて判断能力が鈍っていたのだと思う。即決したものの、レストランの値段の高さに少々後悔。
村をぶらぶら歩いていると、サッカーのようなものをしていた少年達がいたのだが、途中で何やら長時間もめだしたので、もめてる写真しか撮れなかった。
タンボチェ僧院。
チベット仏教の総本山とも言われ、多くの僧がここで修行している。
外国人も通常本堂以外は入れる。
マニ車や僧院、仏塔には全て右肩を向けて時計回りに歩くのがマナー。
理由は聞いたけど忘れた。
本堂脇の小さな建物の中で行われるお祈りを見学した。
本堂でのお祈りはカメラ・動画禁止と書かれていたので、ここでも一応写真は控えた。(バシャバシャ撮ってる人もいたけど…)
お堂の中は極彩色の細かい仏教画で彩られ、正に細い絵筆を持って壁に絵を描いている人もいた。
僧はみんなオレンジ寄りの赤色の袈裟を着ていて、見た目は仏教という雰囲気。部屋の中央に何体かの仏像があり、その回りを20人くらいの僧が囲むように座ってお経を唱えていた。
16時から、本堂であるお祈りを見学出来るとのことで、再度訪問。
中はかなり広く、壁一面にはやはり極彩色の仏教画が彩られている。部屋の中央には膝くらいの高さの長椅子…というよりも、木でできた背の低いベッドのようなものが縦に4つくらい並んでいて、その上に座布団を敷いて修行僧がずらっと座っている。 先程の小さいお堂でのお経は仏教っぽいと思ったが、やはりここはチベット仏教。始めこそ、同じようなお経が続くものの、途中からほら貝の笛のような音の笛、ドラ、鈴、様々な楽器が加わっての大合唱になっていった。僧達の低くくぐもった声と、楽器の音が交差し、何とも言えない不思議な空間に吸い込まれる。
観光客はみんな壁沿いの冷たい床に座ってそれを眺めるものだから、今の時期はとにかく寒い。すぐ出る人もいたし、私は30分くらいで退出したが、まだじっと聞いている人も沢山いた。
何というか…それほど引き込まれる世界だった。
もっとチベタンボールとか使って静かな感じなのだと思ってた。
※チベタンボールとはこういうの↓
日本のように「チ~ン」とやるのではなく、器の縁をなぞるようにして音を鳴らす。
チベット仏教のお祈りで使われ、何とも不思議な音色。
使ってたんだと思うけど、他にも色んな楽器が鳴り響いててよく覚えていない。
その後、ガイドブックに載っていた日本人登山家の慰霊碑を訪ねた。
僧院左横のこの道をまっすぐ行く。
1982年、日本人として初めて冬季エベレスト登頂に成功し、帰路に遭難した登山家、加藤保男さんの慰霊碑。
隣りにも他の日本人慰霊碑、シェルパの慰霊碑が並んでいた。
山々を見晴らせる尾根の上にあるが、この日は既に霧が出ていたので、手を合わせて宿に戻る。
泊まった宿は団体客がいて、結構賑わっていたが、この慰霊碑を訪れた人はいないと思う。(なぜなら場所が分からなくて団体客のガイドに聞いたがガイドも知らなかった。もちろんクマルさんも。)
日本人以外に現地のシェルパも亡くなっているのに何だか悲しい。
まぁ所詮見知らぬ人の慰霊碑だけど、せめてここに来た日本人だけでも、どうか手を合わせて欲しいと思う。
そこそこ疲れていたので、この日はガッツリ食べようと決意。
結構ちゃんとしたレストランで、かなり値段も高めだったから(高度が高くなるにつれレストランの値段も上がる)、ここならと思い、初日しくじったダルバートを注文。
そうそう!
コレコレ!!!(∩´∀`)∩
けどまぁ、このダルバート、、、650ルピー もするんだけどね。。。
カトマンズなら日本食2食分!
ナムチェならステーキが食べられるよ?
全然庶民食じゃない!(TдT )
石油止めてるインドを恨む!
ただ、ダルバートは肉以外は何度でもおかわり自由。なので、絶対お腹いっぱいにはなる。
ネパールのパサパサ米が嫌いな私はひたすらイモとダル(豆スープ)をおかわりしまくった。
まぁこの先はダルバートの高さについていけず、スープ系ばっかり頼んでいたけども。
【ナムチェからタンボチェ】
プンギからはひたすら上り坂が続く。
タンボチェ僧院は16時からお祈り開始。
【タンボチェの宿】
「TASHI DELEK LODGE」
宿泊費:R300
人気宿。レストランは高い。僧院の向こうにもロッジが数軒あるので、そちらの方が無難。
【本日使ったお金】
紅茶 R70
ヌードルスープ R280
ダルバート R650
カメラバッテリーフルチャージ R300
宿泊費 R300
合計:R1600
旅女Tabijyo SHIHOさんのブログはこちら
富士山より高いところにある寺院、カラフルで美しいですね。のんびり大らかな村人たちと、雄大な景色から、時間がゆっくり進んでいるように感じます。ヤクの糞の燃料!まるで素焼きせんべいのようです。そのまま乾かすのではなく、一応まるく成形されているのですね~。今回のレポートも面白かったです!
次回はいよいよ山頂を目指します。どうぞお楽しみに~。
投稿Day4.ついに富士山より高い場所の村に辿り着く@ネパールは三井住友海上海外旅行保険 の最初に登場しました。
ピックアップしてご紹介している旅女SHIHOさんのエベレスト登山の情報。4日目をお届けします。富士山よりも高い場所ということが驚きの美しい村です。イキイキとした写真をご覧ください!
4日目:Namche ナムチェ(3,440m) 8:15~Phungi プンギ(3,250m) 11:00 昼食30分~Tenboche タンボチェ(3,860m) 13:40
歩行時間:5時間45分(休憩込) 富士山の標高は3,776 m。
私は5年前に友達二人と登り、高山病になりつつも何とか登頂できた。が、そのしんどさ上「もう二度と行かない」と言い放ち、言葉通りそれから一度も行っていないのだが、まさかそれ以上の高い所に登ることとなるとは…。
この日は標高3,860mのタンボチェという村が最終目的地。
ちなみに富士山の7合目で2,700m~3,000m(宿によって違う)なのだから、出発地のナムチェで既に7合目より高い場所にいることになる。
朝出て到着時間が昼過ぎ。 「もうちょっと進めばいいのに」と思うかもしれないが、高山病対策のため、1日に登る高さは高度差600mまでが望ましいとされている。病院も大きい村にしか無いので、高山病がひどければ下山するか、チャーター機を依頼するしかない。←個人が救援のためチャーター機を呼ぶのは数百万~1千万円するらしい。
朝、ポーターのクマルさんが宿に迎えに来る。
普通ポーターは私の半分くらいのリュックを自分の荷物として持っているのだが、クマルさんは手に持ったビニール袋以外、何も持っていない。
私 「クマルさん、荷物は?」
クマル 「ん?コレだよ?」
クマルさんの荷物。↓
マジで?(;´Д`)
マジで大丈夫なの?この人???;
今から8日間・・・
最終地点、マイナス20℃近いんですよ???
というか、そのビニール袋持って歩くの!?
そんな私の不安をよそに、クマルさんは平然と言う。
クマル 「僕の荷物、あなたのリュックに入れてくれないかな?」
…いや、どうせアンタが全部担ぐんだからいいけど、、、でっかいシュラフあるし既に結構パンパンなんですけど。というか、ほんとバックパックすら持ってないの!?(;´Д`)
結局全ての荷物を私のバックパックに押し込んで出発。
この時私は思った。
絶対変なの引き当てた。
本日も快晴のナムチェの村を後にする。
しかし、村を出る途中途中で、クマルさんの知り合いが何人も笑顔でクマルさんに声をかけて見送る。
ネパール語は分からないが、「トレッキング」はそのまま「トレッキング」と言うようで、知り合いに声を掛けられる度にクマルさんがそう答えている。
よって、私にはこう話してるとしか思えなかった。
↓
村人 「あれ?クマル?どこ行くんだ?」
クマル 「トレッキングだよ、トレッキング!」
村人 「トレッキング!?一人でか?良かったじゃないか!今までガイド付きでしかやってなかったのに!で、一日いくら貰えるんだ?」
クマル 「1,500ルピーだよ」
村人 「いいなぁ!頑張れよ!」
クマルさんは知らないが、私は「いくら?」と数字くらいのネパール語は分かるので、この会話はあながち外れてはいないと思う。クマルさんは何度もトレッキングは行ったことがあるとは言っていたが、この村人の感じからすると、一人では初めてなんじゃないかと思った。(バックパックも無いし…)
この会話は村を出てからも時々続いた。
あ~何か「魔女の宅急便」のキキが一人前になるため街を出るあの感じと似てる…。
↓既に飽和状態の私と自分の荷物を背負うクマルさん。37歳。
段々畑。冬になる前は何も植えないらしい。
途中、二人でキャッキャ遊んでた子供達。
ネクタイまであるしっかりした制服を着ていた。
途中の村ではアクセサリーなんかをよく売っていた。
ナムチェを過ぎるとまた景色が変わる。
遠くの切り立った山々を見渡せる山沿いを歩いているかと思えば、森のような鬱蒼とした登山道になったり…トレッキングが趣味では無い私でもちょっと楽しいと思ったくらいだから、好きな人にとっては生唾モンだろなぁ~と思う。
11時に「プンギ」という村に到着。
この先タンボチェまで村は無いので、朝御飯をミルクティーとクッキーで済ました私はここで昼食を取る。
ヌードルスープ。
ただのインスタントラーメンがここでは立派な一つの料理。
チョウメン(焼きそば)やフライドライス(炒飯)は量が多いからお腹いっぱいにはなるが、やはり暖かい汁モノが欲しくなる。インスタントラーメンと言えど、野菜も入れてくれるので、塩っ気もあって疲れた体に身に染みる。
ヌードルスープに「RaRa(ララ)ヌードルスープ」とか「WaiWai(ワイワイ?)ヌードルスープ」という風に表記される場合があるが、これはインスタントルードルの種類で、「出前一丁」か「サッポロ一番」とかメーカーの違いを表している。
ちなみにネパール人は料理せずにスナック感覚で、そのままポリポリ食べたりしている。
お腹を満たして出発。
この小屋何だろ~と思って覗くと、中にマニ車があった。
下に流れる川の水圧で、マニ車の下に付けられた水車が回り、自動でマニ車が回るシステム。
ちょっと!
お経読むのにどんだけ楽するん!笑
もはや人の手すらかかっていない。
燃料にするため乾かされているヤク糞。
道具屋で1Gで買い取ってくれますか?
途中、クマルさんがストックの無い私のために木の棒を拾ってくれた。
シホは ひのきのぼう をてにいれた!
ひのきでは無いけど、丁度持つ所がいい具合に曲がっていて使い心地がいい。
どうせなら身につけて歩くとHP回復するアイテム・・・何だっけ?アレが欲しいな~。
何せ、後にも先にもストックが木の棒 という、ナメきった格好は私以外には現地民だけだった。
そして現地民の方がよっぽどいい木の棒を使っている。
↓
木を削って作った、太いちゃんとした杖。腰の高さより低く、手に持つというよりは、上から押さえて使っている。写真のように、人力で重い物資を運ぶ現地の人はよくこの杖を使っていた。
ちなみに、数人で運ぶ場合は、人と人の間に距離が出来る場合が多いので、先頭と最高尾の人が笛を持っていて、休憩する時、終わる時はこの笛を吹いて列を止める。
ヤクも隊列をつくる時は同じような感じだが、ヤク使いがいるのは最後尾で、ヤク使いが笛を吹くと先頭のヤクがぴたっと止まり、後続のヤク達を止める。う~ん、賢い。
ナムチェからプンギまでは標高的に少し下るが、プンギから先は下った分も合わせてタンボチェまでひたすら上り坂!
またしてもめちゃくちゃキツかった…;(というか、この先キツく無いことがほぼ無いことを、この時の私はまだ知らない。)
ので、例によってこの先の写真は無く、タンボチェに到着。
このゲートがタンボチェ到着のしるし!
中は派手なチベット仏教の絵が描かれている。
天井画。
タンボチェの村。
標高3,860m!
ついに富士山より高い所に来た!!!
2時前に着いたけど、既に霧がかっていた。
本日の宿「TASHI DELEK LODGE」
テラスがいい。
一泊300ルピーと高かったが、疲れすぎて判断能力が鈍っていたのだと思う。即決したものの、レストランの値段の高さに少々後悔。
村をぶらぶら歩いていると、サッカーのようなものをしていた少年達がいたのだが、途中で何やら長時間もめだしたので、もめてる写真しか撮れなかった。
タンボチェ僧院。
チベット仏教の総本山とも言われ、多くの僧がここで修行している。
外国人も通常本堂以外は入れる。
マニ車や僧院、仏塔には全て右肩を向けて時計回りに歩くのがマナー。
理由は聞いたけど忘れた。
本堂脇の小さな建物の中で行われるお祈りを見学した。
本堂でのお祈りはカメラ・動画禁止と書かれていたので、ここでも一応写真は控えた。(バシャバシャ撮ってる人もいたけど…)
お堂の中は極彩色の細かい仏教画で彩られ、正に細い絵筆を持って壁に絵を描いている人もいた。
僧はみんなオレンジ寄りの赤色の袈裟を着ていて、見た目は仏教という雰囲気。部屋の中央に何体かの仏像があり、その回りを20人くらいの僧が囲むように座ってお経を唱えていた。
16時から、本堂であるお祈りを見学出来るとのことで、再度訪問。
中はかなり広く、壁一面にはやはり極彩色の仏教画が彩られている。部屋の中央には膝くらいの高さの長椅子…というよりも、木でできた背の低いベッドのようなものが縦に4つくらい並んでいて、その上に座布団を敷いて修行僧がずらっと座っている。 先程の小さいお堂でのお経は仏教っぽいと思ったが、やはりここはチベット仏教。始めこそ、同じようなお経が続くものの、途中からほら貝の笛のような音の笛、ドラ、鈴、様々な楽器が加わっての大合唱になっていった。僧達の低くくぐもった声と、楽器の音が交差し、何とも言えない不思議な空間に吸い込まれる。
観光客はみんな壁沿いの冷たい床に座ってそれを眺めるものだから、今の時期はとにかく寒い。すぐ出る人もいたし、私は30分くらいで退出したが、まだじっと聞いている人も沢山いた。
何というか…それほど引き込まれる世界だった。
もっとチベタンボールとか使って静かな感じなのだと思ってた。
※チベタンボールとはこういうの↓
日本のように「チ~ン」とやるのではなく、器の縁をなぞるようにして音を鳴らす。
チベット仏教のお祈りで使われ、何とも不思議な音色。
使ってたんだと思うけど、他にも色んな楽器が鳴り響いててよく覚えていない。
その後、ガイドブックに載っていた日本人登山家の慰霊碑を訪ねた。
僧院左横のこの道をまっすぐ行く。
1982年、日本人として初めて冬季エベレスト登頂に成功し、帰路に遭難した登山家、加藤保男さんの慰霊碑。
隣りにも他の日本人慰霊碑、シェルパの慰霊碑が並んでいた。
山々を見晴らせる尾根の上にあるが、この日は既に霧が出ていたので、手を合わせて宿に戻る。
泊まった宿は団体客がいて、結構賑わっていたが、この慰霊碑を訪れた人はいないと思う。(なぜなら場所が分からなくて団体客のガイドに聞いたがガイドも知らなかった。もちろんクマルさんも。)
日本人以外に現地のシェルパも亡くなっているのに何だか悲しい。
まぁ所詮見知らぬ人の慰霊碑だけど、せめてここに来た日本人だけでも、どうか手を合わせて欲しいと思う。
そこそこ疲れていたので、この日はガッツリ食べようと決意。
結構ちゃんとしたレストランで、かなり値段も高めだったから(高度が高くなるにつれレストランの値段も上がる)、ここならと思い、初日しくじったダルバートを注文。
そうそう!
コレコレ!!!(∩´∀`)∩
けどまぁ、このダルバート、、、650ルピー もするんだけどね。。。
カトマンズなら日本食2食分!
ナムチェならステーキが食べられるよ?
全然庶民食じゃない!(TдT )
石油止めてるインドを恨む!
ただ、ダルバートは肉以外は何度でもおかわり自由。なので、絶対お腹いっぱいにはなる。
ネパールのパサパサ米が嫌いな私はひたすらイモとダル(豆スープ)をおかわりしまくった。
まぁこの先はダルバートの高さについていけず、スープ系ばっかり頼んでいたけども。
【ナムチェからタンボチェ】
プンギからはひたすら上り坂が続く。
タンボチェ僧院は16時からお祈り開始。
【タンボチェの宿】
「TASHI DELEK LODGE」
宿泊費:R300
人気宿。レストランは高い。僧院の向こうにもロッジが数軒あるので、そちらの方が無難。
【本日使ったお金】
紅茶 R70
ヌードルスープ R280
ダルバート R650
カメラバッテリーフルチャージ R300
宿泊費 R300
合計:R1600
旅女Tabijyo SHIHOさんのブログはこちら
富士山より高いところにある寺院、カラフルで美しいですね。のんびり大らかな村人たちと、雄大な景色から、時間がゆっくり進んでいるように感じます。ヤクの糞の燃料!まるで素焼きせんべいのようです。そのまま乾かすのではなく、一応まるく成形されているのですね~。今回のレポートも面白かったです!
次回はいよいよ山頂を目指します。どうぞお楽しみに~。
投稿Day4.ついに富士山より高い場所の村に辿り着く@ネパールは三井住友海上海外旅行保険 の最初に登場しました。
ピックアップしてお届けする旅女SHIHOさんのエベレストに登山の情報。まずは登山の始まり1日目、写真たっぷり!トレッキング&観光を楽しんでいる様子をご覧ください!!
1日目:Lukla ルクラ(2,840m)7:30~Chumoa チュモア(2,760m) 12:30
歩行時間5時間(休憩含む)
※(m)内は標高。
朝7時。ルクラの空港に無事到着。
飛行機が無事着陸した瞬間、隣りにいた人が「イエーッ!!!」と拍手。つられて乗客全員拍手。
「やっと念願の場所に来れた」のイエーなのか、「無事着陸出来た」のイエーなのか謎である。前述した通り、ここ「テンジン・ヒラリー空港」は、離着陸が難しいことで有名な世界一危険な空港なのだから。
私は乗った飛行機は「Goma Air」。
どの航空会社の飛行機も定員20人くらいの小さなジェット機だった。
ルクラの空港。
既に寒い。
ルクラの町並み。
朝7時と早いにも関わらず、開いている店もある。
「ナマステ・ロッジ」という宿に帰りの航空券を預け、リコンファームをお願いしておく。
そのまま7時半頃にいよいよ出発。
入り口らしきゲート。
地図に記載された標高通り、ルクラからチュモアは少し下るので、この1日目はそれほどキツくは無かった。
この時点ではまだ一人だったため、若干道が心配だったが、人通り(ヤク通り)もそこそこあるため、分からない場合は人が来るまで待って、道を聞きながら進んだ。
物資やトレッカーの荷物を運ぶヤク。
ヤク使い?が一緒にいて、遅いヤクがいるとムチでビシビシ叩く;
時々ロバや馬も通る。
この先はヤク優先道路。ヤクが通る場合、トレッカーは必ず山側へ避けてヤクが通り過ぎるのを待つこと。(間違っても谷側に避けないこと。非常に危険。)
この辺りは緑も多く、秋の山のトレッキングといった感じ。
川に架かった長い橋を渡るロバ(馬?違いが分からん;)。
落ち葉を運ぶおばあちゃんとのんびりロバ待ちをする。
この山の人々はこのおばあちゃんのように、荷物を全て頭で支えて運ぶ。かなり重そうなものでも、頭にかけた布一つで支えて起用に運ぶので、首の筋肉は相当発達してそうだ。
この長い橋は風や人の重みで前後左右に非常に揺れる。そして川からかなり高い位置にある。高い橋が苦手な私は、最初こそ歩伏前進して進みたいと思ったが、何度となく同じような橋を渡らなければならないので、その内慣れた。
途中の村にあった僧院。
ネパールは約10年前まで世界で唯一ヒンドゥー教を国教としていた国で、ヒンドゥー教徒は国の約8割だと言われている。が、チベットに近いこの土地では、今でもチベット仏教を信仰している人がほとんどである。
手前にある円柱のものは「マニ車」。中に経文を印刷した紙が収められ、一回転させれば、その経を読んだのと同じ徳があるとされ、仏塔や僧院の近くによくある。
携帯出来る小さなマニ車も土産物屋で売っていて、「どんだけ楽するんだ」とちょっと思ってしまう。
途中トイレを借りたレストラン(山小屋?忘れた;)で、おじさんが金色の器の上で落ち葉を燃やしていた。
聞くと、仏教のお祈りのためとのこと。
日本で言う線香と同じようなものだろうか。
少し休ませてもらって先に進む。
仏塔の近くには、こういった経文が掘られた石版が沢山ある。
初め見た時ワンピース好きな私は「ポーネグリフだっ!!!」と色めき立ってしまった。
山中を歩いているとそうでもないが、村に入ると地震の痕跡を感じる。地震があったのが今年の4月。まだ半年くらいしか経っていないため、各村で多くの家が復興作業をしていた。
キャベツや葉野菜を育てている畑を沢山見た。
あっ!猫!
子猫もいる~(*´∀`*)
しばし懐っこい猫と戯れながら先へ進む。
本日の目的地「チュモア」の村に到着。
本日の宿「SONAM LODGE」。
富士山の山小屋を想像していた私。
「普通にいいやん!!(゚д゚)!」
ネパールの山小屋は全て個室のみ。
私がこの先泊まる宿も全て個室で、大体ツインベッドルームだった。
窓からの眺めも悪くない。
ダイニングルーム。
この日この宿の宿泊客は私だけだった。
どうやら次の村の方が宿泊客は多いらしい。
昼ご飯にネパール人の庶民食「ダルバート」を注文。
ひたすらガッカリ_| ̄|○
400ルピー(400円)出してこれ…。
まぁ「ダルバート」というものは「ダル=豆のスープ」と「バート=米飯」なので、間違ってはいないのだけど。普通、庶民食堂ではなくこういう観光客向けの場所の場合は、こういうもの↓を期待するワケであって。。。
私の不満な気配を察してか、「辛いものもいる?」と宿の人が唐辛子で漬けた野菜(大根とキュウリのピクルス的なもの)も付けてくれたんだけど、疲れて辿り着いてのこのご飯は出だしからゲンナリしてしまった。
夜ご飯は無難にヌードルスープ(所謂インスタントラーメン)を注文。
宿代がタダ(代わりにここでご飯を食べること)だったのと、宿の人がシャワー代わりにお湯を沸かしてくれたり親切だったのがせめてもの救い。
明日は美味しいご飯にありつけますように。
宿の前にもおじさんと同じお祈り用の金色の器が掛けてあった。
【ルクラからチュモア】
トイレや水が補給出来る場所は多い。朝ルクラを出れば人通りも多い。上り坂は少ない。チュモアからナムチェまでは上り坂が続くので、チュモアの先のMonjo(モンジョ)又はJorsale(ジョルサレ)で宿泊した方が無難。モンジョとジョルサレの方が宿やレストランも多い。チュモアの宿の隣に分かりにくい小さなチェックポイントがあるので、ここでTIMSを提示。
【チュモアの宿】
「SONAM LODGE」
場所:チェックポイントの隣り
宿泊費:無料(必ず宿のレストランでご飯を食べること。←高い)
ダイニングにストーブが無いので夜は寒い。シャワーは無いが頼めばバケツ一杯のお湯を沸かしてくれた。道側の部屋は日が落ちるまで暖かい。
【本日使ったお金】
ダルバート R400
ヌードルスープ R300
ミルクティー R70
宿泊費:無料
合計:R770
空の青と山の緑鮮やかで、そしてカラフルな建物や雑貨の色。澄んだ空気が伝わってきます。ネパールも祈りの国なのですね!登山は始まったばかり。どうぞ無事に登れますように!
この後も、ピックアップしてSHIHOさんの登山までの様子をおとどけしま~す。
投稿Day1.一人だけどまだまだ余裕。@ネパールは三井住友海上海外旅行保険 の最初に登場しました。
旅女SHIHOさんから、なんと!?エベレストに登山の情報です!!標高5364m、全日程12泊13日!ネパールも気になる、登山の様子も気になる!ネパールの旅、これからどんなことが起きるのでしょう?楽しみです。
ナマステ~!!
こちらは世界最高峰エベレストを目指す登山家がキャンプ地とする
「エベレスト・ベース・キャンプ」。
写真にある通り、標高5,364m。
ええ。
行って来ました。
写真は合成ではありません笑。
誰ですか。
「今年は後厄やから、ネパール辺りで大人しくしとくわ~。」
何て言っていた人は。
ちっとも大人しくしていない!
登山とか興味無い人は、「まぁキャンプ地だし、そんなに大変じゃないんじゃ」と思うかもしれません。私も調べるまではそう思ってました。
結論から言うと、全工程(往復)で
12泊13日
かかった…と言うと、その大変さが分かって頂けるでしょうか。。。
高山病対策として1日に登れる距離が大体決まっているので、普通の人はここからプラマイ2~3泊って感じになると思います。
シャワーは11日間浴びてませんw
本日カトマンズの宿に戻り、11日ぶりのシャワーを浴びてスッキリしたものの、長袖は全てトレッキングで使ったので、Tシャツのみで頑張ってます。昼は大丈夫だけど夜が寒い…(;´Д`)が、まぁ今までいた所に比べると屁でもありません。
11日分の髪の毛がごっそり抜けて、マジで10円ハゲでも出来てるんじゃ…と心配しましたが、今のところ大丈夫そうです。目下の心配はむっちゃクサい靴をどう洗うか、というところ。
何にせよ、無事下界に戻って来れて良かった( ;∀;)
カトマンズに戻って、ソッコー日本食食べに行きました。
多分明日も行きます笑。
そして今日は久々にぬくぬくしたベッドでひたすらマンガデータ読むか、ロンバケ見てると思います。
この先のブログは暫くエベレスト編が続くと思います。
行く前は淡々とした日記になるだろな~と思っていたのですが、途中でかなりクセのあるポーター(荷物持ち)を引き当ててしまい、今回も一筋縄では終わらない日記になるだろうと思います(;´∀`)
良かったのか悪かったのか…。
それではまた乞うご期待…してもガッカリするかもしれませんがまた♪
SHIHOさん、お気をつけて~!今後のレポート楽しみにしています。
投稿少しは大人しくしなさい。@ネパールは三井住友海上海外旅行保険 の最初に登場しました。